soraかさい/九七式艦上攻撃機

 

平和とは・・

20年近く前に亡くなった僕の父は、

大東亜戦争(太平洋戦争)の時、

13歳〜17歳という

多感な時代を過ごしています。

日々空腹と、

空襲から逃げまくった記憶が

色濃く残っている人で、

戦争関連の話題になると、

機嫌が悪くなることも多々ありました。

勿論、それは致し方ないことで、

恐らく、戦争体験をした世代は、

多かれ少なかれ父と同じように、

持って行き場のない、

かと言って、

家族にさえ理解もして貰えず、

やるせない気持ちに

なったのかとも思います。

時は流れて、

現在はどうでしょう。

多くが戦後生まれた世代になり、

戦争の記憶がなくなる分、

何かを手掛かりにして、戦争を理解し、

どうやって平和を維持するかを学ぶことが、

喫緊の課題になっていると感じます。

その意味において、

4年前に開館した「soraかさい」は、

特攻隊編成の地でもあり、

紫電改組み立ての地でもあり、

戦争当時の広い飛行場跡や

地下壕など戦争遺構も沢山残っていて、

戦争を学ぶに相応しい場所です。

今回、soraかさいを訪問して、

若い方が多かったことに

驚くと共に、

「戦争」と「戦争を知る事」を

ちゃんと識別して、

学びを得る方々が増えつつある事に、

安堵感を覚えたものです・・・

二度と悲惨な戦争を

起こさせないようにするのは、

国民一人一人の「意志」が、

必要不可欠です。

いや、

例え意思があったとしても、

平和維持が難しい事は、

ウクライナ戦争を見て、

痛いほど身に沁みています・・

それでも尚、平和は、

自らの手で掴み取るものでしょう。

毎度書いていますが(笑)

他人任せでは、

先の大戦のように、

いつの間にか、

引きずり込まれてしまうかも

知れません。

だからこそ歴史から学びを得て、

未来に生かすしかないのです。

九一式航空魚雷

紫電改操縦席体験の

興奮冷めやらぬ中、

すぐそばの魚雷の実物の見学へ。

全体像。

「九一式航空魚雷」

以下、全文です。

「九一式航空魚雷は、

大日本帝国海軍において実用化された、

ほぼ唯一の航空魚雷です。

吊り下げ展示している

九七式艦上攻撃機が敵艦船への攻撃に

使用する種類の魚雷もこれになります。

九一式航空魚雷は、

鶉野飛行場にも配備されていました。

終戦後に作成された複数の

姫路海軍航空基地の備品目録の中に、

九一式航空魚雷1本と

訓練用の疑魚雷10本が記載されています。

この展示している魚雷は、

京都府南丹市「京都るり渓温泉」で

展示されていたものであり、

2024年(令和6年)に

譲渡を受けた方が、

関係者等と修復などを施した後、

同年、市に寄贈されました。」

詳細部分。

魚雷とは、

精密機械そのものなんですね!

もしかするとこの魚雷、

僕たちが以前訪問した、

長崎県の片島魚雷観測所か、

山口県大津島の

回天基地跡の魚雷観測所で、

試験を受けて合格したうちの

一本かも知れません。

妻と大きさ比較。

九七式艦上攻撃機

九七式艦上攻撃機を見ていると

先ほど操縦席体験で、

親切に対応してくれた

年配の男性が話しかけてくれました。

「爆弾は機体の右寄りに積んでいます。

これはプロペラの回転で、

右側に揚力がかかるので、

それを抑えるための工夫なんですよ」

これは素人には

全くわからないものですね!

しかし思い起こせば、

僕が小学生の頃作った、

九七式艦攻のプラモデルでも

九一式魚雷の積み方は、

機体の真ん中でなく、

右寄りだった記憶が蘇り、

「なんで真ん中じゃないのか?」

そんな60年近く持ち続けた疑問が、

氷解した瞬間でもあります(笑)

さらに男性は、

「実は、この建物は、

もっと広く作られる予定でした・・

しかし、当時の市長が、

戦争関連のものなので、

極力小さく作れとのことで、

元の設計よりも建物面積は小さくなり

九七式艦上攻撃機を床置き展示できず、

こうやって吊り下げる事になったのです。」

為政者によって、

展示の内容も変わる・・・

鶴の一声というのは、

強力なんですね(汗)

見学用の展望所から。

前市長の差配で、

図らずも吊り下げになったものの、

これはこれで、

いい味出していますね。

真下から全体を見る。

右斜めから。

操縦士はじめ、

搭乗員の姿も見えていますね・・

当初は練習機として使われていた

この九七式艦上攻撃機に乗って、

鶉野飛行場から宇佐航空基地、

そして、

鹿児島の串良基地へと移動し、

串良から沖縄へ・・・

こちらは今年3月、

串良基地跡の地下壕第一電信室で見た、

九七式艦上攻撃機の特攻出撃風景です。

恐らくここ鶉野飛行場から飛び立った

機体の一つでしょう・・・

特攻で散華された

「白鷺(はくろ)隊」の隊員は63名・・・

ただただご冥福をお祈りするばかりです。

(続く)

 

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