東行庵(下関市)高杉晋作銅像

 

里山工房よっちゃん

東行庵の思い出の一コマ、

それは昼食のお弁当です。

高杉晋作顕彰碑近くのテント前では、

「どうぞお寄りくださ〜い!

見るだけもどうぞ〜!」

こんなお姉様方の黄色い声に、

道ゆく人が足を止めていました。

最初はスルーしようと思った僕たちも

さらなるお姉様の黄色い声の追撃で、

導かれるようにテントの中へ(笑)

結果、栗ご飯と里芋のコロッケ、

地元、吉田の名前を冠した

「吉田なすからし漬け」を購入する事に。

とにかく明るく、楽しく、

抜群にノリがいいお姉様方で、

ここが墓域の一角とは

思えないほどに華やかなのです(笑)

これならお墓に眠る晋作さんたちも

楽しく過ごせるはずですよね!

僕がお願いしたこんなポーズにも

即応してくれた

「里山工房よっちゃん」の優しいお姉様、

本当にありがとうございました!

東行庵

昼食の目処もたち、

意気揚々とさらなる散策へ。

「よちゃん」から一旦入口まで戻り、

今度は東行庵(建物)を巡り、

高杉晋作の銅像を目指します。

標柱。

お地蔵様にご挨拶。

子供みたいなお地蔵様、

癒されますな〜!

東行庵。

「東行庵(とうぎょうあん)」

「この地は清水山と称し幕末の頃

奇兵隊軍監山縣狂介(有朋)は

麓に草庵を建て無隣庵と名付けていた。

慶応三年(1867)四月、

高杉晋作(東行)の遺言により

遺骸を奇兵隊の本拠に近いこの地に葬った。

晋作に仕えていた愛人うの

(後に梅処)は黒髪を断って出家したので、

山縣は明治二年(1869)

無隣庵を梅処に贈り欧州に旅立った。

現在の庵は明治十七年

伊藤博文・山縣有朋・井上馨等

全国諸名士により建立されたもので、

梅処は明治四十二年に

その生涯を閉じるまで東行の菩提を弔った。

昭和四十一年東行の百年祭を機に

庵の原型をとどめるため

大修理を行なった。」

山縣さん、流石ですね!

「無隣庵を梅処に贈り欧州に旅立った」

このフレーズだけで、

「礼はいらね〜よ!お先に行くぜ!」

みたいで、

吉田松陰の教え「狂いたまへ」の実践、

カッコよすぎます(笑)

「飯田蛇笏(自筆)の句碑」

「松風にきき耳たつる火桶かな

この句は昭和六年二月寒い木枯らしの吹く

東行庵を訪れた時の作

他に

春霜や東行庵の片ひさし

春寒く尼僧のた持つ齢かな

の句を残している。」

「時山直八 手植の樫」

「下関攘夷戦・英米仏蘭

四か国連合艦隊との下関戦争、

小倉口の戦いに参加し

明治元年に奇兵隊参謀として

北越に出征するとき、

ここに植えたものです。

のち、越後朝日山(長岡市)で

戦死しました。(年三十一歳)

墓は東行庵奇兵隊並諸隊士顕彰墓地に

あります。」

この方も長岡(新潟県)で

亡くなったのですね・・

それを知る手掛かりであるこの古木、

長生きして欲しいものです・・・

高杉晋作銅像

この日午後からは防府市なので、

高杉晋作の遺品や資料が見られる

「東行記念館」への入館は、

ちょっと残念でしたがパスする事に。

東行記念館。

外観だけの思い出です(笑)

「東行記念館」

「高杉晋作の百年祭を記念した

昭和41年(1966年)

4月14日に開館しました。

晋作の遺品をはじめ、奇兵隊や、

幕末から明治にかけて活躍した人々の

遺品や資料を収蔵・展示しています。

多くの「勤王志士」たちと

交流した晋作は、坂本龍馬とも親交厚く、

上京する龍馬にピストルを贈った話や、

一緒に小倉戦争を戦った話などが

遺っています。

晋作の才能を高く評価した龍馬は、

家族に宛てた手紙の中で、晋作を

「天下之人物」として紹介しています。」

龍馬が最後に持っていたというピストル、

もしかしたら

晋作さんのプレゼントだったのかも?

東行記念館から回れ右すると

銅像が見えています。

こちらは陶像に比べて

かなり新めです。

アップ。

お顔のドアップ。

安倍晋三氏の謹書・・・

晋作の「晋」は晋三の「晋」、

晋作の「作」には、

晋三の「三」も入っていて、

何か通じるものを感じます・・・

(ちょっと強引か?)

来所記念のプレート。

この8年後の同じ7月、

奈良で凶弾に倒れた安倍氏・・・

改めてご冥福をお祈りします・・・

帰路

参道を歩き駐車場へ。

「横山健堂顕彰碑」

「横山健堂(本名達三)

明治五年、萩に生まれた。

吉田松陰の門下生幾太

(号郁堂、萩藩士)の長男である。

新聞記者、大学教授を経て文筆家となり

「人国記」の復活をはかる。

「新人国記」や人物評論で健筆をふるい、

明治、大正期の異才として

その文名を謳われた。

数多くの著作があるが、

終生東京にあって郷里への思いは強く

「防長精華」など山口県の紹介につとめた。

また長府功山寺門前の

「高杉晋作回天義挙之所」石碑銘は

健堂の揮毫である。

この顕彰碑は健堂の名評伝

「高杉晋作:にちなみ

昭和五十八年十一月、

有志の手によって当庵に建立された。」

以前功山寺を訪問した時、

「高杉晋作回天義挙之所」の石碑は、

全く眼中になく、

見た記憶もありませんが、

一度見てみたいものです。

藤棚手前の可愛らしいライオン像。

藤棚を寄贈したライオンズクラブが

建立したようです。

駐車場の清潔さ抜群のトイレ。

出発前に出すものは出し・・・

そして入れるものは入れる(笑)

よっちゃんの弁当、

めっちゃ美味かった〜!

(東行庵・完)

 

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