富田護國神社(山口県周南市)
ようやく参拝
前回、山崎八幡宮に参拝した時、
富田(とんだ)護國神社への参拝も
予定していましたが、
時間の関係で、カットする事に・・・
御英霊の皆様には
申し訳ありませんでしたが、
今回ようやく参拝出来ました。
参道
地図でみると山崎八幡宮の
裏手、山側という位置なのですが、
道がどうにも分からないのです・・・
ちょっと迷ったあとに、
もしかするとここからかも?
そう思ったのが、
山崎八幡宮の三宝荒神社横の道です。
道案内はありませんが、
何となく、上ってみると大正解(笑)
少し山歩きをして境内へ。
途中で見つけた古い手水鉢。
南天でしょうか?
赤い実をつけた小さな木が、
手水鉢に寄り添うように生えていて、
それが依り代のように感じます・・・
最後の石段。
御社殿
境内に入ってすぐ目につくのが、
こちらの社号標です。
この社号標には、
富田護國神社ではなく、
「新南陽護國神社」の文字が
刻まれています・・・。
周南市に合併する前、
ここは新南陽市だったので、
それと関係があるかも知れません。
拝殿へ。
富田護國神社の案内。
少し抜粋すると
「富田護國神社は、
明治二(1869)年、
徳山藩山崎隊の戦没者23名を祀る
招魂場を富田水源山頂に
創建したことにはじまります。」
このように書かれ、
四境戦争、鳥羽・伏見の戦いなどの
記述が続きます。
ここには書かれていませんが、
山口県護國神社のサイトによると
「最初の境内地からは、
日中戦争の勃発により
軍事上必要な所として、
呉鎮守府から海軍用地として
譲渡を要請されての移転で、
富田町は移転地の開墾に着手、
町民3000人余の労力奉仕により
約1000坪の敷地を得、
社殿を造営し、
昭和14年に護国神社と改称した。」
このように書かれています。
地元の方々の熱意と、
ご苦労には頭が下がります・・・
狛犬。
吽形。
真新しいしめ縄の鳥居。
拝殿のしめ縄も新しいので、
正月前に取り替えられたのでしょう。
拝殿に飾られた松や南天(多分)
参拝者の気分も
これを見ると和みますね!
参拝。
拝殿右から本殿へ。
本殿に参拝。
玉垣の隙間から本殿を撮影。
拝殿前にてツーショット完了。
石碑
本殿参拝後は、
境内で見つけた2つの石碑へ。
「永源山招魂碑」
案内によると
「この碑は、
大正4年(1915)に建立され、
明治維新に際し、
藩のために活躍した18名の名前や、
招魂社が官祭に指定されたことが
刻まれています。
(中略)
碑文を撰した大野直輔は、
山崎隊創設時の総管を務めたほか、
鳥羽・伏見の戦いの後、
慶應4年(1868)には、
徳山藩9代藩主
毛利元蕃(もとみつ)の世子
元功(もといさ)に随行して、
イギリスで経済学を学び、
帰国後は造幣局長や
会計検査院部長を務めました。
また、題字は元功の子にあたる
毛利元秀によるものです。」
このように書かれています。
この石碑も昭和14年に
永源山招魂社から
移築されたのでしょう・・・。
もう一つの石碑は、
「明治天皇 御製」です。
「世と共に
語り傳へよ國の為
命捧げし人の勲を」
時々神社で見かける
有名な御製ですが、
護國神社に建てられると、
特別な気持ちになります・・・
これにて、
富田護國神社の参拝は完了です。
忘れ物
ブログを書いていて、
改めて調べると、
本殿の裏に元の招魂場である
永源山山頂から移設された
33柱の招魂碑が
あったことを知りました。
お参りしていなかった・・・
相変わらずの予習不足が判明(汗)