三田尻御舟倉跡(山口県防府市)

 

一部分でも残す大切さ

三田尻御舟倉跡、

僕は、往時の雰囲気がそのまま

残っているのかと思っていましたが、

その一部分が残っていたのでした。

残念と考えるか、

それとも少しでも残って(残して)

いたのは、良かったと考えるかでしょう。

僕自身、色んな観光地や

寺社などを巡ってみて

建設当時のものが壊れてうたり

例え形跡が少なくても、

一部分でもそのままを残す方が、

歴史文化を伝えるには、

全く残っていないとか、捨てるとか

復元のみとかよりも

存在意義は大きい気がします。

三田尻御舟倉跡へ

住吉神社の石造灯台の近く、

公園の横が三田尻御舟倉跡です。

駐車場は公園のものを利用。

シンプルかつ分かりやすい道案内。

公園内を歩いてすぐ、

三田尻御舟倉跡に到着。

萩往還(萩城までの道)の

重要拠点だった三田尻御舟倉跡の案内。

冒頭で書いたように

現在残っているのは、

往時の一部分ですが、

その場所がこの案内でよくわかり

親切なものとなっています。

毛利氏が関ケ原の戦いで

西軍に属して負け、

結果、領土を縮小され、

広島城を追い出されて、

日本海側の萩城で政務をとるようになり

江戸時代中期まで、

参勤交代は三田尻から海路をとった事で、

この三田尻御舟倉は船で賑わい、

現在の防府市繁栄の元になったものでしょう。

もし関ヶ原の戦いに西軍が勝利していたら

この三田尻御舟倉は、無かったのかも?

知れませんね。

周囲の石垣が残っています。

江戸時代の規模や町並みは

推測するしかありませんが、

船の往来が賑やかだった光景が

目に浮かびます。

三田尻御舟倉跡の散策は、これで完了。

今日の鳥居?

妻が見つけた鳥居もどき(笑)

公園の遊具が鳥居に見えると

教えてくれました。

また、キリンのイメージとも・・・

配色が逆ですが、たしかに見えます。

何事も「先入観を持たない」のが、

物事を楽しめる秘訣なんでしょう(笑)

 

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