修善寺(静岡県伊豆市)

 

北条早雲が復興した寺

「修善寺」というのは、

地名だと思っていたら、

お寺の名前でもありました(笑)

そして現在の修善寺を復興したのは

北条早雲ということも

合わせて知ったのです。

修善寺縁起。

要約すると以下になります。

「この寺の歴史は宗派的に、

真言、臨済、曹洞の三つの区分になります。

大同二年(807)弘法大師と

弟子たちによる真言宗の寺として創建。

元久元年(1204)源頼家

この地で殺害されています。

本尊の大日如来像(重文)は、

その母北条政子が頼家公の

菩提のために七回忌に当たる

承元四年(1210)

実慶に造らせたことが

解体修理の結果わかりました。

寛元四年(1246)から

240年ほどは、臨済宗となり、

その後、戦乱で荒廃していた修善寺を

韮山城主となった北条早雲が、

曹洞宗として再興しました。

早雲はこの寺の再興のため自分の叔父

隆渓繁紹禅師を住職として招き、

広大な土地を寺領として寄進されたので、

復興することができました。

禅師が入山されたのが、

延徳元年(1489)ですから

既に500年を過ぎて

今日に至っています。」

北条早雲さん、

いい仕事してますね~!

修善寺へ

源頼家の墓にお参り後、

少し時間があったので、

修善寺にも参拝することに。

修善寺さん、

なんだか付け足しになってしまい

ごめんなさい!(汗)

修善寺とスイーツ2022の案内。

絵地図がとってもわかりやすいので、

今後もこれを使えばいいのにと

思ってしまいます。

足湯から見た修善寺。

参道橋。

境内

橋を渡ると、

思った以上に多くの参拝者がいて、

撮影のため、しばし待機。

待つこと、数分、

人がいない写真の撮影に成功(笑)

寺頭。

山門。

この左右に立っているのが、

こちらの仁王像です。

阿形。

平安時代後期作と書かれていますので、

北条政子さんや頼家さんも

この仁王像を見たはずです(笑)

吽形。

素朴さ満点、

ほのぼのとして、

優しさを感じますね!

手水舎。

「大師の湯」

ということは・・・

水ではなくて、温泉が出ています!

温泉の手水は、

佐賀県嬉野市の豊玉姫神社

参拝して以来、

ちょっとお久しぶり(笑)ですね。

手水舎の向かいに建つ

玉石垣の鐘楼も立派。

この妻のポーズは何だったのか(笑)

木組が何段にも連なり、

四方には狛犬もいて、

見応えは十分です。

本堂の左右には、

美しく剪定された木を中心に、

小さな庭が配置されていて、

素晴らしい景観をしています。

本堂。

鬼瓦や倒立狛犬、

そして屋根瓦の「修」の文字など、

細部に渡って作り込まれていて、

まさに神経が行き届いた伽藍です。

味のある扁額の文字は、

なんと佐賀藩の副島種臣の書ですよ!

この人、字が上手なことで有名ですが、

修善寺にも足跡を残していたんですね。

参拝。

本堂向かって左手の弘法大師像。

「南無大師遍照金剛」の赤い幟が、

目を惹きます。

まずは、右側のお地蔵様にご挨拶し、

弘法大師さんへ。

近影。

最後はこれで〆。

そして、

伊豆旅行での訪問地も

これが最後なので同じく〆(笑)

 

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