行基菩薩の噴水(近鉄奈良駅)

 

市民の待ち合わせ場所

行基の足跡を辿る旅、

東大寺の行基堂に次いで、

二箇所目の訪問地は、

近鉄奈良駅の噴水の頂上に立つ

行基菩薩像です。

「行基菩薩の噴水」と名付けられ、

奈良市民の待ち合わせ場所として

親しまれています。

近鉄奈良駅

東大寺から車で走っている時、

妻が見つけたのが、

近鉄奈良駅と道路を挟んだ

向かい側にある駐車場です。

正直、ここは超便利(笑)

横断歩道を渡れば

そこは近鉄奈良駅なんですからね!

横断中に駅を撮影。

お~行基菩薩像見えています!

駅の出入口。

ここから回れ右すると・・・

東大寺を向いた

行基菩薩の噴水があります。

托鉢のお坊さんとのコラボ(笑)

正面から撮影。

花も飾られて、

素晴らしく手入れが行き届き、

「清浄」という言葉が相応しい

心落ち着く噴水です。

これはいったい誰が考えたのでしょうか。

お坊様と噴水の取り合わせなんて、

もしかすると建立当初は、

「お坊様に水をかけるなんて失礼」

など、批判もあったかも知れません。

しかし、

「せんとくん」も発表当初は、

日本中を巻き込んでの非難がありましたが、

県知事の判断で、キャラクターは変えず、

今では、

奈良県のマスコットキャラクターとして

無くてはならない存在として大活躍ですし、

「斜め上をいく発想」の奈良県、

素晴らしいじゃないですか!

「行基菩薩」

文章を要約・抜粋すると

「行基菩薩は天智天皇七年(668)

大阪府堺市に生まれ、十五歳で出家、

二十四歳で、授戒得度、

平城京遷都での寺院の移設にも貢献、

東大寺など、四十八の大寺院を建立、

全国に開基した寺は700ヶ所。

一方、民生社会事業としても

実践主義に徹し、

橋を架け、堤を築き、池を掘り、

日本最初の独孤院、日本地図を作った。

また庶民の救済として布施屋(宿泊所)

施薬院などの社会の為の事業を次々に行う。

唐朝の文明文化を輸入し、

奈良朝文化に貢献された恩人である。

今日の庶民仏教と

社会福祉の基礎を開いたのは、

実に行基菩薩であると仰がれている。

聖武天皇天平二十一年(749)

八十二歳で遷化(亡くなった)。

生涯かけての業績の偉大さは、

千二百有余年の今日もなお、

多数の人々の心の中に

行基菩薩は生きているのである。

昭和四十五年三月

奈良市長 鍵田忠三郎」

かなり端折りましたが、

このようになります。

ここで、このようなものを建てた、

鍵田忠三郎さんが気になって

Wikipediaで調べると、

この方、凄い功績を残されています。

それは、昭和35年から始まった、

「奈良大文字送り火」の

考案者(創設者)だったのです。

第二次大戦で国を守るために

亡くなった御英霊の方々の事を

後世の若者にも伝えたいと、

始められたもので、

毎年8月15日に行われ、

神職が祝詞をあげ、

僧侶が読経をする

まさに神仏が手を携えて

平和を祈る行事として

多くの方に親しまれています。

動画でも撮影。

ここからは行基菩薩像を一周します。

斜めから。

横から。

後ろから。

「行基菩薩の噴水」

こちらには平成七年、

行基菩薩像が、

再建されたときの事が書かれています。

ここには書かれていませんが、

初代のものは壊されたそうです・・・。

像のアップ。

左斜から。

右斜から。

正面のお顔どアップ。

優しさと強さと、

全てが凝縮されたお顔です。

後ろから。

首の盛り上がりが、

生きているかのように見え、

妻と二人して感動しました。

 

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