嚴島神社(会津若松市・飯盛山)

 

元気

コロナ禍が一段落したからか

平日だというのに飯盛山は

人出は多くかなりの盛況で、

特に僕たちよりも

年上であろう先輩方は、

元気そのものでしたね(笑)

まあ、

元気を貰うなんて

あまり必要のない僕たちも

上乗せで元気をいただきました(笑)

白虎隊記念館前

白虎隊記念館は、

白虎隊につての資料が納められた

気になる場所ですが、

僕たちは、なんせ「弾丸ツアー」(笑)

なので、

前を通るだけです。

飯盛山案内図に記された

「らくな参拝順路(6分)」に従い、

記念館前を通り、嚴島神社へ。

左側の銅像の案内には、

「白虎隊士 酒井峰治 愛犬クマ

滝沢山中に出迎え」

このように書かれています。

その内容を書き出すと、

「戊辰八月二十三日朝、戸ノ口原から

引きあげた白虎隊士中二番隊四十二名中の

十九名はこの飯盛山で自刃し、

他の隊士は山間を退いて入城し、

籠城戦に参加した。

この時友と離れた酒井峰治(十六歳)は、

不動滝上の滝沢茸山で、

幸運にも愛犬クマの出迎えを受けて

大いに元気づき、

このクマの道案内により、

三ノ丸の明かず口から無事入城し

籠城戦に大いに活躍した。

右の史実は、先ほど北海道旭川市の

令孫酒井峯男邸から発見されて

当館に寄贈された昔の峰治筆

「戊辰戦争実歴談」四十九文字によるが、

峰治少年は後年旭川市で

酪農家として名を成した。」

このようになります。

戊辰戦争などで、

「負けた側」の人には、

北海道の開拓者となった方々も多く、

酒井峰治さんも

その一人だったのかも知れませんね。

自刃した白虎隊士の中でただ一人

生き残った飯沼貞吉のことが

書かれています。

この方も悲劇の生き証人として、

天がこの人を生かしたのでしょう・・・

記念館前には、

いくつかの石碑などが建っています。

「水戸藩諸生党鎮魂碑」

籠城戦で会津藩とともに

奮闘した水戸藩士の鎮魂碑です。

ここに来て知ったことですが、

新政府軍と戦ったのは、

会津藩士だけではなく、

会津と心を同じくする他藩との

連合軍だったということです。

案内の最後に

「時代の流れに逆らって

信念を貫き、消え去った人達に

光を当てたい」

このように書かれています。

そう、

勝てば官軍、負ければ賊軍、

崇高な理念があったとしても

歴史的には新秩序を作った側から

「悪者」にされてしまうのです・・

徳富蘇峰の「会津勤皇詩碑」。

白虎隊士の像。

二人の視線の先は、

会津若松城(鶴ヶ城)です・・・

「大夫桜」

案内を要約すると

以下になります。

「石部桜と共に

会津の二大老樹の一つである。

寛永三年(1626)

いつき太夫という名妓(めいぎ)が、

花見のおり、

この辺で凶徒に殺害された。

弟がこれを悲しみ、霊を弔うために

墓側に植えられた桜で、

現在の樹は二代目と伝わる。」

熊本県の寂心さんのクスや、

下城の大イチョウ

高森殿の杉などと同じく、

「墓と木」の取り合わせですね。

本参道

記念館前を歩いた

突き当たりが本参道です。

参道脇に鎮座する霊牛神社。

昭和48年、霊夢により建てられた、

「弁天様(嚴島神社)の案内神」と

書かれています。

祓戸社的なものと勝手に解釈し参拝。

嚴島神社の参道。

柱に文化十年(1813)と

刻まれた一の鳥居(多分)

あの東日本大震災でも

倒壊しなかったとすれば、

凄い生命力ですよ!

散り始めていますが、

ここは桜の見頃は続いています。

山道脇の弁財天像と頌徳碑。

子育地蔵尊に参拝。

鳥居の赤と桜のピンク、

いい雰囲気だ〜(笑)

広島の嚴島神社の鳥居と同じく、

両部鳥居がお出迎え。

橋を渡り御社殿へ。

橋から見た清流。

癒されますな〜。

御社殿

このお社は、

本殿と拝殿が一体化した

コンパクトなタイプです。

二本の杉が、

拝殿・本殿を守るように

そびえています。

お手水完了。

「嚴島神社」の案内。

書き出すと、

以下になります。

「當社は宗像三女神の一にして古くから

人々の信仰が厚かった、

主神は市杵島姫命である。

会津の領主芦名直盛公の時代、

石塚、石部、堂家の三家によって

社殿が建てられたるものとして

時は永徳年間

(1381〜1384)のことである。

別當は正宗寺である。

降って元禄十三年には

会津藩主松平正容は

御神像及び土地を寄進され、

明治の初期に嚴島神社と改めた。

この山を飯盛山と呼ぶ。

別名の辨天山は、

この神社にあやかるものである。」

参拝。

本殿横から撮影。

なかなか渋くて素敵です。

この後は、

戸ノ口原で敗れた白虎隊が

ここに逃れてくる際、

潜ったという洞穴へと向かいます。

 

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