三女神社(宇佐市安心院)

 

安心院あじむ七不思議

宇佐市安心院で気になったもの。

それが、「安心院七不思議」。

文字通り、不思議な場所が

七つあるのですが、

そのうちの一つが、

今回参拝した三女さんみょ神社の

「三柱石伝説」です。

神社近くの交差点。

この一角に案内が見えています。

三柱石伝説、

かなりの「推し」なんですね!

御社殿

駐車場が見当たらなかったので、

境内入った所の小さなスペースに駐車。

ここから横参道へ向かいます。

手水舎と神門。

手水舎前の案内。

七不思議の一つ、

「水沼井」(おみず)が

紹介されています。

少し抜粋すると以下になります。

「当社南方五百メートルの盆地内に

根宮(もとみや)があり

神池として清水が湧出する。

伝説によれば、

三女神天降りの際の産水とされ、

雨や旱に増減混濁することなし、

また手足の不ずいにも著効ありという。」

神門へ。

拝殿にて参拝。

「三女神社御由緒」

抜粋すると以下になります。

「御祭神の、

田心姫の命、湍津姫の命、市杵嶋の姫を

葦原中国の宇佐嶋に降し給うに

宇佐嶋とはこの地宇佐郡安心院邑にして

豪族筑紫君等がこれを祀る。

江戸時代に至り島原藩主累代これを崇敬し

社領を寄進、社殿、灯籠などを奉納した。」

何と、ここは現在の長崎県、

島原藩の「飛び地」だったのですね!

調べてみると

島原藩の全石高、6万6千石のうち、

安心院など(大分県の)飛び地だけで、

2万8千石ほどもあったそうで、

飛び地の概念を飛び越して、

まるで本領みたいな存在感です。

佐賀関の早吸日女神社に参拝した時、

そこが熊本藩の飛び地だった事を

知りましたが、

大分県、意外と飛び地だらけなのかも

知れません。

御由緒そのものより

「飛び地」に食いついた僕です(笑)

本殿の三女神様に参拝。

境内社

次に境内社へ。

貴船神社。

案内を書き出すと、

以下になります。

「元正天皇養老二年夏四月より

秋までひでりが続き

田も畑も枯氏寸前となり

村人一心となり貴船大神に

雨乞いの祈りをしたところ、

その願いが神に通じたちま

一天かき曇り慈雨あまねく降りわたり

田畑とも豊かな稔りとなったので

翌年正月二十日御社を建て

貴船神社として祭祀した。」

養老三年の建立という事で、

「日本書紀」完成1年前の創建ですね。

参拝。

ここで可愛らしい狛犬が

目に飛び込んできました!

阿形。

埴輪がさりげなく虚空を見上げ、

なんかしら、

良いコントラストです!

吽形。

次に、英霊社へ。

参道。

赤とんぼのお迎え・・・

案内によると、

「昭和20年10月、

大東亜戦争の戦死者の霊を慰めたいと

安心院小学校の奉安殿をゆずり受け

安心院地区二百二十余柱の英霊を

この聖地に奉安鎮座ましますこととした。」

このように書かれていあます。

現在の御社殿が、奉安殿なのか

それとも二代目なのかは

特定出来ませんが、

当時の宮司様はじめ、

奉安殿に御英霊を祀った方々の

お気持ちには、

ただ、頭が下がります・・・

三柱石

遂に、七不思議登場(笑)

手づくりの案内板。

三柱石の案内。

書き出すと以下になります。

「三女神天降りの遺跡と伝えられ

地上に突出すること二メートル余り

「古来試みにこれを穿ちて

石根を見んと欲すれば

宇宙闇然風雨至り

大地振動してその声、雷の如しと言う。

後人恐れて觸るものなし」

と言い伝えられる。

なお、三柱石は

安心院七不思議の一つとされている。」

以前訪問した福岡県鞍手町の

六嶽むつがだけ神社近くの六ヶ岳も宗像三女神が

地上に降り立った場所とされていましたが、

降臨伝説はいくつかあるようです。

三柱石。

ズームにてアップ。

不思議なのは、石の角度・・・

降臨当時は真っ直ぐだったのかな?

三柱石横に建つ灯籠。

天保二年(1831)の文字とともに、

気になるのは、

火袋にあしらわれた、

丸に一文字の家紋(神紋)です。

皮篭石かわごいし

案内。

幾つかの伝承がある石です。

ここまでで三女神社参拝は完了。

最後は、いつものツーショットで〆。

 

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