土佐神社(2019年高知の旅)後編
新旧領主の合作は傑作
土佐神社は、旧領主の
長宗我部元親が本殿や拝殿などを
再興し、
新領主の山内忠義によって、
楼門、鼓楼などが整備された
いわば「新旧領主合作の社」
と言えるでしょう。
もちろんその合作は、
心打つ傑作として僕の胸に刻まれました。
また、今回の四国の旅で、
僕は今まで抱いていた
豊臣秀吉に屈して、四国全土から
土佐一国においやられた的なイメージの
長宗我部元親像が、
神社仏閣に崇敬が高く、
見事な社殿も残した人として、
一気に輝いて見え始めたのも
この土佐神社のお陰です。
また、高知と言えば、
初代藩主、山内一豊ばかりが有名ですが、
二代藩主の山内忠義の
その名の通りに「神様への忠義」を
目の当たりにして、
やはり現地を訪問し、
自分の五感を使って体験しなければ
物事のほんの一部しか見えない事
改めて思った次第です。
御社殿外観
拝殿内をうろうろした後は、
拝殿や本殿の外観を楽しみます。
改めて拝殿正面。
拝殿西側の斜めから。
真上から見た形が本殿を頭にして
トンボの形をしている土佐神社、
その左の翼(羽)と尻尾の部分です(笑)
翼を先端から撮影。
質実剛健的な拝殿と対照的に
トンボの頭部分に当たる本殿は
華やかな朱塗りです。
斜め後ろから。
屋根の先端が反り返る形がいいですね。
柿葺(こけらぶき)の屋根。
デザイン的には寺院の本堂風で、
1570年という神仏習合の時代に
建立された事がこのようなデザインになった
所以かも知れません。
境内社
本殿の西側には境内社が
三社鎮座しています。
お~!!凄い!
本殿などがトンボの形に
造られているのと同じく、
こちらの境内社もトンボの形に
なっているではないですか!
長宗我部元親が再建した本殿などと
同時期に造られたのかどうかは
分かりませんが、
この「こだわり」が素敵です(笑)
このトンボの尻尾にあたるのが、
真ん中の西御前神社です。
そして、その両脇、
両羽にあたる位置にいらっしゃるのが、
こちらの二社です。
左の羽、事代主神社。
右の羽、大国主神社。
大国主は事代主のお父様で、
親子神が両羽とは、
なかなかバランスが良いですね。
御神木
本殿裏側の森への案内につられて、
奥へと進んで行きました。
このように参拝順路や見所が
わかりやすく表示されていると
初めて来た人も安心して
境内散策が出来るし、
見所を見逃さないので有り難いですね。
何だかいい雰囲気の森です。
御神木の杉。
根っことの境は、
スカートのデザインの一つである
「ボックスプリーツ」になっています(笑)
そんなことを考えていたら、
この木のすぐ先にある小屋を見て、
妻が一言。
「あっ、三角兵舎だ!」
確かに鹿児島県、
知覧の特攻基地跡で見た
三角兵舎にそっくりです(笑)
実際には、このような主旨で
使われていますので、
特攻隊とは無関係です(当然)
そして、こちらが本家の三角兵舎です。
なんかそっくりなんですよ!
木々の中に埋もれた感じも
似ています・・・・
そう言えば、特攻隊員たちが、
練習機として使ったのは
「赤とんぼ」と呼ばれる機体でした。
土佐神社の御社殿が、
とんぼの形をしているので、
妻を介して僕たちに
知らせてくれたんでしょうか・・・
土佐神社に参拝して、
今の平和な日本の礎となってくださった
特攻隊の皆様を思い出す事が出来たのは、
妻のお陰と感謝しています。
礫石
ご神木を見て、西側に歩くと
こんな案内が見えてきます。
ここが土佐神社発祥の地、礫石です。
神様がこの石を投げて落ちた所に
宮を建てたという逸話です。
参拝。
神明宮
礫石から少し上がった所に
神明宮が鎮座しています。
参道。
古い石段。
神明宮は伊勢神宮と同じく
天照大御神と豊受大御神が
御祭神です。
ゴージャスな鈴を鳴らして参拝。
御社殿東側の散策
まだまだ見所が続く土佐神社。
次は、神庫です。
基礎の石を見ると
かなり古いもののようですね。
神饌所。
神様の食事を作る場所です。
輪抜け祓所。
御神木の杉の切り株を
茅の輪のように見立てた
なかなかユニークな祓所です。
枯木の魂はいまだに
ここに宿っています・・・
木の魂の中を通過する妻。
実は僕たち、ここに来る前に
このご神木が立っていた場所を
本殿の裏側で見つけていました。
妻と比較すると
樹齢800年だった
杉の大きさが忍ばれます・・・
祓所も良かったですが、
この切株を捨てず、
祓所として大切に保存された
神社の方々の
お気持ち自体に感動しました。
禊石。
案内によると
古来から禊場として
境内西のしなね川にあったものを
河川改修のため「やむなく」
ここに移設しています。
しかし
僕たちはここで禊石を見られたので、
移設していただいた事は、
有り難い事でもあります。
御神木のクスノキ。
樹齢は400~450年でしょうか。
見上げると枝ぶりの壮観さがわかります。
厳島神社
クスノキの手前、
池の真ん中に鎮座しています。
よくある厳島神社の配置です。
参拝。
鼓楼
厳島神社の入口手前、
御社殿に向かって右端に
慶安二年(1649年)
二代藩主山内忠義による
建立の鼓楼がそびえています。
袴腰と呼ばれる黒色の板と、
その上の朱色のコントラストが、
素晴らしい景観です。
それにしても黒い板の部分は、
本物の袴の形そっくりですね!
斜めから見ると
さらに壮観です。
線路の前、いや拝殿の前で撮影。
御朱印を授与していただき
参拝は完了です。
今日のビックリ
楼門前の社号標の素材にビックリ。
Wikipediaと社号標の案内によると
この社号標は、神社近くで発見された
古墳時代の古墳の石室を
明治20年に壊し、
その五枚あった天井石の一つで、
作られています。
その他の天井石も橋などに使われていて、
明治20年頃の遺跡に対しての価値感は、
戦国や江戸時代、昔の墓石を城の石垣や
河川の堤防石として流用したのと
さほど変わらない感覚だった部分も
あるのでしょう。
ある意味おおらかな時代ですね!