豊川稲荷(妙厳寺)霊狐塚

 

豊川閣

豊川稲荷の正式名称は、

「圓福山妙厳寺みょうごんじ」といい、

「豊川閣妙厳寺」とも書かれています。

案内などにはこの二つが

使用されているのですが、

大本殿の説明板には、

「明治時代に至り有栖川宮家より

「豊川閣」の大額が下賜され大本堂内に

掲揚されている。

当寺を「豊川閣」と呼ぶのは、

この因縁によるものである。」

このように記されています。

こちらはパンフレットの画像です。

有栖川宮親王の御直筆は、

広島の多家神社の鳥居で

一度見たことはありますが、

この扁額の文字は、

豊川稲荷に対してだけの

特別な文字という雰囲気が

感じられます・・

特に「豊」の文字などは、

もはや吒枳尼真天様の化身のような

有り難さが満ち溢れていますね!

文字は人の心まで揺さぶるもの・・

これならば、

豊川閣と名乗るのは当然でしょう!

宝篋印塔(供養塔)

戦没者供養塔かと思って参拝したら

後から調べると

実はどなたかわからない

宝篋印塔だったというお話です。

参拝順路最上部、

出口の先に印された供養塔。

海軍工廠で働いていた

2,500名もの方が亡くなった

豊川空襲の犠牲者を慰霊するものですが、

僕が慰霊したと思った「塔」は

違っていました(汗)

狐塚・奥の院方面へ。

令和八年には七十二年ぶりの

大本堂のご開帳があるようで、

盛り上がっています。

供養塔の参道・・

ではなかった(汗)

ここは地図に

掲載されていない場所・・

宝篋印塔と書かれていますが、

案内などはなく、

勝手に戦没者の慰霊塔と思い参拝。

実際の慰霊塔はこの森の先

200m位にあるようなので、

遥拝したという事でOKでしょう(笑)

大黒堂

次に大黒堂へ。

ここで急に雲間から太陽が顔を出し、

大黒堂を照らしたのです!

大黒様に歓迎を受けたと

いつものように都合よく受け取り、

意気揚々と参拝へと向かいます(笑)

「おさすり大黒天造立の由来」

ご真言、

「オン マカキャラヤ ソワカ」

七回唱えて参拝完了。

霊狐塚(れいこづか)

次なる霊狐塚には、

関連した後日談があります。

豊川稲荷の霊狐塚を参拝してから

1週間くらいで知ったのが、

天正十一年(1583)賤ヶ岳の戦いで、

柴田勝家が前進陣地を置いたのが、

「狐塚」(こづか)という場所だった事。

言葉は言霊、これで確定です(笑)

指差し案内(笑)

参道入口。

狐様だらけ。

もうすぐ霊狐塚入口です。

中に入ってまずは右側の岩山へ。

この山は昔奉納された

富士山の溶岩だそうです。

四カ国語表示で、

「岩の上に登っちゃダメ」

「賽銭を盗っちゃダメ」

と書かれています・・・

数年前の画像では

岩山が木柵で囲われていたのですが、

ラッキーな事に、

それは外されていました。

モラルが回復したのかな?

岩山上の二匹のお狐様が気になり撮影。

そして、

参拝の帰りがけに総門近くで

こんなポスターを発見。

お〜これは!

僕が撮ったのと

ほぼ同じアングルじゃないですか!

しかも初詣のポスターの

メインを張るとは(笑)

霊狐塚さんとシンクロした気分で、

ちょっと嬉しくなりますね!

凄い数のお狐様。

動画で見るとその規模が

深く理解できます。

参拝。

右側の通路から霊狐塚を散策開始。

いきなり出会った猫ちゃん。

逃げもせず、つぶらな瞳で、

僕たちを見つめています。

霊狐塚の守護神かな?

一瞬そう思ったのですが、

ある意味これは正解でした。

その理由は、

大本殿前に戻った時、池のほとりで

参拝客の会話で分かる事に・・。

狐ちゃんたちの背後から。

本殿の背後を通過。

本殿間近でも改めて参拝。

近いと一層のご利益感が

マシマシです(笑)

最後に本殿向かって左から撮影。

霊狐塚、

異空間に癒されたひとときでした。

(続く)

 

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