筑波海軍航空隊記念館・史跡ガイドツアー/前編
巡り巡っての参加
史跡ガイドツアー、
計画時には「参加」としていました。
しかしその後妻が、霞ヶ浦に面した
鹿島海軍航空隊跡を知って、
興味津々になったことで(笑)
筑波の訪問後に
鹿島海軍航空隊跡へも行き、
そちらのガイドツアーに参加の為、
筑波の滞在時間を削ることとなり、
史跡ガイドツアーは、
「不参加」としていました。
ところが、
筑波海軍航空隊のご英霊達は、
僕たちをツアーへと
導いてくださったのです!
理由は、
鹿島海軍航空隊跡の公式Xでの
次のようなお知らせです。

毎週土日の営業なのに、
ピンポイントでたまたま
僕たちが訪問を計画していた
12月13日(土)が
臨時休業とは・・・
結果、
鹿島行きは無くなり、
筑波での史跡ツアー復活と、
笠間市からほど近い、
水戸市の茨城縣護國神社へ行き、
ペリリュー島守備隊の主力で、
玉砕した水戸歩兵第二連隊の慰霊という
段取りが取れたのです。
禍福は糾える縄の如しというのか、
人生これだから面白いのですね(笑)
発掘調査エピソード
史跡ガイドツアー参加者の特権(笑)は、
いくつもありますが、
その中でも有り難かったのが、
「発掘調査エピソード」という、
14ページにも及ぶ、
冊子をいただけたことです。
お陰で、
史跡をより詳しく知ることができ、
さらに筑波空への興味が、
湧きまくっています(笑)

表紙。
オレンジ基調で各ロゴが、
史跡を表しています。

史跡紹介。
特に「推し」は、
旧司令部庁舎の裏庭の地下にある
無線室と記されていて、
ここは妻も
一番行きたい場所のようでした。

調査の経緯と方法などの詳細。

掘削・実測調査など。

鑑定調査。
まるで古墳時代の土器を
発掘するみたいですね。

要塞化までの経緯。
左下の証言が興味深いので、
抜粋してみます。
■地下応急治療室の穴掘りを
○経験した基地近隣住民の証言
「地区ごとに動員が割り当てられ、
トラックの荷台に木枠を立てて、
老若問わず立ったまま
作業場所まで運ばれ作業した。
地下通路は、
地中2.5m〜3mほどを掘り進み、
U字溝にコンクリート製の蓋を
被せた様な構造で、
塹壕のように基地周辺に張り巡らされた。
新設した滑走路は、
地元の稲田石の砕石や
河川敷の砂利などを混ぜて
強度をあげ、同じ時期に舗装された。
地下通路は一部滑走路の下を
通過している。」
■隊御用達の刀鍛冶の証言
「地下要塞の鉄筋を作った。
工法はラバウル方式と称し、、
鉄筋コンクリートを2重にし、
間に砂利の層を挟み、
1945(昭和20)年2月に完成させた。
工事は、昼夜を問わず進められた。」
■隊の戦後処理を担当した人物の証言
「基地内の充実した地下室の配置により、
空襲時には隊員は早急に避難した事から、
人員の被害は少なかった。
近隣の川沿いや山間部に、
半地下の兵舎や地下格納庫を設置し、
一部は隣接する桜川市まで
広域に展開していた。」

地下通路の現状。

地下無線室。
「2022(令和4)年の発掘調査のなかで、
特に大きな発見だったのが
「地下無線室」の存在です。
もともと旧司令部庁舎の裏側は
草木でうっそうとしていて、
無線室のある場所はこんもりとした
小山になっていました。
地下室の存在は予測されていたため、
調査時に本格的な掘削作業を行い
発掘を行いました。
当初、無線室の中は泥と土で埋まって
立ち入ることが出来る状態では
ありませんでしたが、
ボランティアの皆さまのお力も借りながら
整備のための準備を進めてきました。
そして2025(令和7)年4月より
ガイドツアー内でのみ
お客様への公開を開始し、
同年11月には整備もすべて終え、
より安全な環境で
ご見学いただけるようになりました。」
これを読んでビックリです!
僕たちが最初に訪問した4月から
このツアーが始まっていて、
今回の訪問直前の11月に、
整備が完了していたのですから!
まるで、
僕たちというか、
前世が特攻隊の妻の訪問を
待ち構えていたかのような
地下無線室ですね!

裏表紙。
左下のパンフ印刷時期表記は、
地下無線室の整備が完了した月、
2025年(令和7年)11月23日と
なっているようで、
(数字の羅列なので勝手な推測ですが)
これもまた、
僕たちにとっては嬉しい記念です。
玄関
ガイドツアーの集合場所は、
旧司令庁舎正面玄関です。

これが参加証の表裏で、
ツアー終了後は返却します。

正面玄関に到着。
僕たちを含め十数名が、
参加されていました。
最初にガイドさんから聞いたのは、
玄関両脇のスロープは、
海軍時代にはなかったもので、
戦後の病院時代に作られ、
そのまま残っているそうで、
さらに、
正面の階段は木製という
ビックリなお話です。

木製階段とスロープ。

確かに色が剥げて板が見えていますね。
実はこれ、映画のセットとして作られ、
それがそのまま使用されているそうで、
さすが映画ロケの聖地、
筑波海軍航空隊記念館だと感心していたら、
さらなる追い討ちが(笑)

扉から中に入ると・・・

こりゃ〜圧巻!!
映画ロケで使われた色んな表札です。
廣島赤十字だったり、宮城県警だったり、
これは超レアモノ、
見られてホント良かった〜!

映画の紹介パネル。

海外の病院や、
刑務所としても使われているんですね!
筑波海軍航空隊記念館は、
もはやただの戦争遺跡ではなく、
映画やドラマには欠かせない、
リアルロケセットでしょう!

妻、入館中。

ご一行様は2階へ。

誰もいなくなるまで待って撮影。
人が多いと、
顔が映り込みそうで、
なかなか気を使いますね。
2階
ここでは司令室と病室を見学。

司令室の隣、病院のセット。

病院部分の格天井は、
途中から違いがあると
ガイドさんに教えていただき確認。
この境目が司令室(繊細な作り)
との壁だったかも知れませんね。

ちなみにこちらが、
司令室の格天井ですので、
間違いなさそうです。
屋上
ここからはいよいよ、
ツアー参加者の特権行使となります(笑)

一般客は入れない屋上へ。
ワクワクが止まらんですよ!

踊り場の窓からの景色。
建物手前の土部分には、
地下無線室の出入り口が見えています。

屋上への廊下。

この電灯は戦前からのものだそうです。

屋上に到着。

この建物が寄った屋上の雰囲気が、
航空母艦の甲板みたいだと
ガイドさんは話されていました。

確かに飛行機が飛び立てそう?(笑)

ガイドさんによると
このエアコン室外機は、
戦後の病院時代のもので、
長年使われていないのに、
撤去が大変なのでそのまま
置かれているそうです。
よく見ると
「2階医局(東)」、「2階医局(西)」
「2階事務局室」、「2階副院長室」
こんな表示が残っていますね!
これもある意味「遺構」でしょう。

このポールには、日章旗が
掲げられていたものだそうです。

こちらが当時の写真です。
先ほど書いた玄関も
車止めなどはなく、
往時はシンプルですね。
(写真は旧司令部庁舎案内板から抜粋)
そしてここから目線を下げると・・

謎の突起が整然と並んでいます。
これが何の為にあるのかは、
不明ですが、
僕がこれに全く気づかず足を引っ掛けて、
危うく転びそうになる手助けは
してくれました(笑)
妻は見ていなかったし、
話してもいなかったので、
このブログで初めて
突起の意味について知るはずです。

南側の景色。

号令台も俯瞰できます。
天辺の手摺跡も確認できて、
当時の姿がよりいっそう
目に浮かんで来ますね!

滑走路があった方面の景色。

地下戦闘指揮所方面。

ズームして撮影。
あそこまで地下道で繋がっていたとは、
凄いことですよ!
(続く)