鶴御崎灯台(大分県佐伯市)
要塞と灯台
半島の先端部というのは、
海を見張るには絶好の場所です。
明治時代に入ってからは、
多くの灯台が建てられるとともに
外国からの攻撃を想定して、
要塞化された場所もまた
かなりあったようです。
要塞も灯台も「見張る」という意味では、
全く同じですが、
前者は、敵と戦う為の見張り、
後者は、安全の為の見張り、
戦争と平和とでも言えるのかもしれません。
そんな反対の性格を持つ両者が、
タッグを組んだのが・・・
最近の言い方では「コラボ」したのが(笑)
「ミュージアムパーク鶴御崎」で、
ここは、前回のブログで書いた
山頂の「要塞跡」「展望ブリッジ」を含む、
山あり、海ありの素晴らしい公園です。
鶴御崎灯台へ
展望ブリッジから歩いて
灯台を目指した僕たちでしたが、
あまりにも距離があったので、
一旦、展望ブリッジ登山口の
駐車場まで引き返し、
改めて車で行くことにしました。
ところが車を置いている駐車場までは、
意外と長い道のりで、
旅の始まりというのに、
既にかなりの疲れが・・・(汗)
とにかく駐車場まで戻れば
あとは楽なはずなんだと言い聞かせて
何とか到着。
桜の花の向こうに見えるのが、
僕が「鳥羽一郎駐車場」と名付けた、
「男の港」の石碑がある駐車場です。
Wikipediaで調べると、
鶴御崎を歌った、鳥羽一郎の
男の港は70万枚も売れる
ヒット曲だそうです。
話が演歌の方向に行き過ぎました(汗)
灯台近くの駐車場は、
広いし、独占できるし、
弁当食べるには最高かも!
いや、実際に食べましたが(笑)
駐車場に設置された案内板。
この後訪問予定の、
水ノ子海事資料館や
丹賀砲台も紹介されていて、
気分も高揚してきます。
少し歩くと灯台が見えてくるはず・・・
ありました!鶴御崎灯台に到着。
日豊海岸国定公園内に位置し、
正式名称は鶴御崎園地です。
「鶴御崎要塞案内」
やはりここは、要塞と呼ばれるに
ふさわしい所なんだと改めて実感。
周辺の案内地図。
潮風にさらされて、
文字が薄くなっていますが、
これが、あるのとないのとでは
大違いです。
ここも「水ノ子灯台推し」です(笑)
灯台全景。
案内板。
「海抜150mの断崖上に、
昭和56年3月25日点灯されました」
と書かれています。
比較的新しい灯台ですね。
文章の最後を読むと、
これは案内板ではなく、
「周知板」というのが正式のようです。
要塞はそのまま残っています。
ここはお城で言うと「物見櫓」です(笑)
兵士達は、この場所が、
こんなに平和でのどかになるとは
想像していたのでしょうか・・
鱗のような仕上げは、
この辺りの戦時中の建物に
多くみられます。
流行っていたのかも?
ここにも「男の港」は
フューチャーされています。
灯台の北側にある展望所は、
ちょっとお洒落な感じ。
恋ロード、幸せの鐘、
最近はこんなキーワードが
どの観光地に行ってもありますね。
恋人の聖地あるあるの鍵。
光る海、青い空、白い雲、
三拍子揃ったここで鳴らす鐘は、
間違いなく幸せを呼ぶはず!
妻が一人で鐘を鳴らしてみました・・
一人分くらいの幸せは
きっと来る・・かも(笑)
展望台から見た鶴御崎の景色。
山頂の展望ブリッジの姿に、
「あんな高いとこまで登ったんだ」
と感慨もひとしお(笑)
実は、幸せの鐘がある展望所、
要塞と一体化しているのです。
要塞を残しつつ、
新しい施設をミックスさせる
なかなか珍しい手法です。
まるで神社本殿の覆屋のような
新施設と、本殿そのものの
古い要塞の姿にちょっと感動です。
そして、階段を発見。
ドアは閉まっていそうですが、
要塞の中を覗いてみることに。
レストランか
美術館的なものだったようです。
要塞の中を改装した
レストラン(決めつけ・・笑)とは、
戦争遺跡マニアには垂涎の的だったはず?
レストランの外観は、
要塞にガラス窓をつけただけで、
戦闘モード満載ですよ!
要塞の上に建つ
鶴御崎灯台。
九州最東端へ
ここからは、
ゴツゴツした石を踏みしめながら
御崎の先端部分を目指し少し降ります。
きっと下にも要塞はあったのでしょう。
遂に到達、九州最東端!
なんと、
到達証明も発行してくれるそうです。
鶴御崎灯台、
ホントに来てよかった~!