躑躅ヶ崎館(武田氏館)後編

 

見逃すわけには・・・

躑躅ヶ崎館の遺構は、

大きく三つに分かれ、

武田神社が鎮座する主郭部、

神社東側の大手門周辺ゾーン、

そして、今回散策した、

神社西側の曲輪となります。

しかし、僕はこの西側を認識しておらず、

前編でも少し書きましたが、

その存在を知ったのは、

大手門周辺ゾーンを巡った後、

信玄ソフトを食べ、涼をとり、

小腹を満たした後に訪問した

信玄ミュージアムでのこと。

時間が足りないな・・・

そう思いながらも

ここまで来たからには、

やはり見逃すわけには行きません(笑)

西曲輪南桝形虎口

実際の場所には、

詳しい案内は見当たりませんでしたが、

信玄ミュージアムの案内と照らし合わせると

その遺構がよく分かります。

躑躅ヶ崎館に行かれるならば

信玄ミュージアムの

このパネルを見たあとに

実物を見ることをお勧めします。

お~本物の桝形虎口だ!(笑)

そして、注連縄柱手前、

左側にはお地蔵様の姿が・・・

まずは、ご縁をいただいた

優しいお顔のお地蔵様にお参り。

信玄ミュージアムの

「こどもかいせつ」によると

「出入口が造り変えられた?」

「西曲輪の桝形虎口は武田氏滅亡後に

改修され、内側に石垣が積まれました。

この石垣は石を大きく見せるように

工夫して積まれています。

東側の石垣の下では

武田氏時代の礎石を

当時のままで見ることができます。」

このように書かれています。

城内(館内)側から桝形虎口を撮影。

曲輪を横断し北枡形虎口へ。

西曲輪北桝形虎口

ここも

信玄ミュージアムの案内とともに

見ていきます。

「こどもかいせつ」によると

「枡形虎口って何?」

「土塁で四角に囲まれた館の出入口を

桝形虎口と呼び、

外側と内側の二箇所に門がありました。

武田氏時代の門の基礎だった礎石も

見つかっていますが、

加藤光泰時代の改修でその礎石の上に

新たに石垣が築かれました。」

このように書かれています。

武田氏が滅んで10年近く経ってから

躑躅ヶ崎館の主となった加藤さん、

かなり力を入れて大改修していますね。

対家康の最前線基地として、

豊臣の威信をかけて頑張ったのかも?

内部から虎口へ。

桝形虎口内部へ。

土塁に登って桝形虎口を俯瞰。

反対側からも俯瞰。

そして、気になる光景がこちらです。

まるで土塁を手で抑えているかのような

木の根っこ(笑)

ある意味、見所の一つかな?

館の外を背にして桝形虎口を撮影。

戦国末期~江戸時代初期のものにくらべ

かなり素朴な造りになっていますが、

これはこれで、趣があって楽しめます。

(戦国の人には申し訳ないが・・・)

枡形を通って、再度曲輪内へ。

石碑

北桝形虎口から城内に入った所に

いくつもの石碑が建っています。

大正八年の武田神社建立を祝した碑。

吉田義博翁追慕の碑。

この方の業績などは

わかりません。

何かの碑。

これにて躑躅ヶ崎館の散策を完了とし、

次なる目的地、山梨縣護國神社へ。

 

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