浦戸城天守跡(2019年高知の旅)

 

長宗我部元親VS坂本龍馬

戦国後期、高知(土佐)の

支配者であった長宗我部元親、

そして、幕末の志士、坂本龍馬、

どちらも高知県出身の

先輩と後輩です。

そんな二人の対決が、

本格的に始まったのが、

昭和30年代ころから・・・

その対決とは、

坂本龍馬よりも300歳ほど年上の

長宗我部元親が居城としていた

「浦戸城跡の開発」という名の

大合戦でした(笑)

龍馬の圧勝

高知に旅する前、

桂浜の高台に建っている

坂本龍馬記念館あたりには、

浦戸城の本丸があった事を知りました。

しかし、遺構に関する情報は、

ほんの少しだけなので、

きっと大切にされなかった

残念なお城跡だろう・・・

そう思っていたので、

時間が無かった僕たちの

浦戸城の散策予定は、

「案内板の写真が1枚撮れればOK」

くらいで終わるはずでした・・

しかし、

実際には天守台跡に登ったりして、

10分程度は使っています(笑)

こちらが浦戸城の縄張り図。

(出典元:余湖くんのホームページ

そして、こちらが、

坂本龍馬記念館にあった案内図。

平面図の南北は逆になっています。

昭和30年以前には、

かなりの遺構はあった模様ですが、

国民宿舎の桂浜荘や、

坂本龍馬記念館はじめ、

ここに載っている建物や道路は、

浦戸城跡を開発(壊して)作り

今の形となっています。

これを見ると一目瞭然、

坂本龍馬の圧勝ですね(笑)

やはり、「坂本龍馬推し」の

高知県の観光政策に

長宗我部元親は敗れ去ったのです。

文化財保護政策としては・・?

ですが、

僕たちを誘致した事実も含め(笑)

観光政策としては大正解でしたね!

天守台

天守台は辛うじて残っていた

(壊す必要がなかった?)ので、

行ってみました。

国民宿舎「桂浜荘」の駐車場の

端にある立派な浦戸城の石碑。

本丸跡に建てられた桂浜荘を

桂浜から見るとまるで天守のよう(笑)

戦国末期には、

ここから浦戸城の天守が見えた事でしょう。

もしかすると長宗我部元親も

この浜辺から天守を見たかも知れません。

説明板はミラータイプ(汗)

撮影には不向きですが、

見た目は先進的でカッコいいです。

説明板には現代の天守とも言える

「桂浜荘」がしっかり写り込んでいて、

「今の親分は俺だぜよ~!」

そう主張しているようにも見えるのは、

僕の妄想だけでしょうか(笑)

天守台入口には鳥居があります。

天守台頂上までは、

歩いて1分くらい。

以前は展望台?があったのか、

基礎部分の残骸が残ったままです・・・

神社の神様は、優しいので、

残骸があっても怒らないのでしょう(笑)

神社の横の案内板。

中世の城としては珍しい

三層の天守があったと書かれています。

そんな貴重な場所ですが、

ここを知る観光客はあまり

多くないでしょう・・・

今はこんな冷遇をされている

長宗我部元親さんの名誉の為に

書くと、以前あった大河ドラマ

「龍馬伝」のロケ地になった

土佐神社の本殿や拝殿などは、

長宗我部元親が再建したもので、

今では国指定重要文化財となり

この先も永遠に残っていくものでしょう。

城は無くなっても、

名を遺した元親さんかも知れませんね!

 

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