臼杵城(大分県臼杵市)後編
地元のヒーロー
日本の大きな歴史では
脇役であっても、
それが地元の人となれば、
扱いは全く違ってきます。
キリシタン大名大友宗麟も
全国的にはそれほどまでに
有名ではないかも知れませんが、
大分では、多くの功績を残した、
偉大なヒーローなのかも知れません。
同じ人物でも一般的な評価とは
全く違う見方で、
クローズアップされている地元訪問は、
それまで知らなかった事を
多く知ることが出来るから
旅は止められないのです(笑)
大友宗麟(そうりん)
二の丸の一角にある大友宗麟のレリーフ。
大分と言えば、
大友宗麟という位、
有名な人物です。
地元、臼杵出身の彫刻家、
日名子実三(ひなごじつぞう)の作品。
これは複製で、本物は昭和19年に
軍事供出されて現存していません。
日名子実三を調べてみると
よく目にする日本サッカー協会の
八咫烏(やたがらす)の
シンボルマークをデザインした人で、
今でもそれを元にしたエンブレムが継承され
使われているという凄い人でした。
調べないと分からないとは、勿体無い!
臼杵市のPRになるので、
大友宗麟とのツートップとして、
地元有名作家のサッカーエンブレムも
もっと推したらいいのに!
サッカー(作家)だけに(笑)
フランキ砲(レプリカ)。
漢字で書くと、佛狼機砲。
ポルトガルから大友宗麟に贈られた
日本初の大砲で、
実物は、靖国神社にあるそうです。
着見櫓跡
櫓跡の石垣散策は、
お城好きには定番です(笑)
半壊している姿もまた良い(笑)
上ノ門跡。
奥に見えるのが着見櫓の石垣。
立派な石垣です。
圧巻の風景。
石垣群と言ってもいいでしょう。
空堀
本丸と二の丸の間には空堀があります。
1月なのに黄色いイチョウの葉が落ちて、
空堀の姿をより引き立ててくれています。
天守台
ここからは、本丸。
以前の写真を見ると
かなり崩れていましたが、
僕たちが訪問したときには、
こんなに整備されていました。
石垣が残った所はそのまま使い、
崩れた所は養生して、デザインを残すという
なかなか素晴らしい保存方法ですね。
天守台の上に立ってみました。
三層四重の天守櫓があったと書かれています。
天守は、天守櫓という表現なので、
僕も同じように書いています。
確かに天守も櫓の一つではありますしね。
鉄門
二の丸と本丸の境にある門。
石垣が綺麗に残っています。
ここは天守台の野面積みではなく
切込み接ぎの石垣なので、
少し新しいものでしょうか。
新しいと言っても400年近く前ですが(笑)
卯寅口(うとのぐち)
臼杵城の裏側である
搦手(からめて)には、卯寅口があります。
昔は海に面していた場所です。
案内によると、緊急時には、
ここから船で脱出出来るように
なっていたようです。
何故、卯寅と呼ぶのかは
定かでないようですが、
勝手な想像では鬼門の艮(うしとら)が
いつのまにか卯寅という漢字になり
うとのと呼ばれたのかも知れません。
また、ここには、現存する櫓があります。
卯寅口門脇櫓。
江戸時代の建立です。
別角度からも撮影。
ここは昔、断崖絶壁(今でも)で、
その真下は海だった事を考えれば、
ある意味、海上の見張り小屋的な
要素もあったのではないでしょうか。
そして、この海近くの櫓の石垣下には、
真水が出る井戸があります。
井戸丸の案内。
井戸丸。
井戸を祀るためか、
仏様と小さな祠があります。
〆のツーショットで、
臼杵城の散策は完了です。
Comment
残念ながら大友宗麟は大分では『名前を呼んではいけないあの人』のような扱いです。
実際地域別人気武将でも大分県では最盛期を築いたにも関わらず7位でギリギリランク入りのような状態なので。
社寺への放火や破壊、人売り、狂信的なキリスト教への姿勢を考えれば当然とも言えますが。
しかも最終的にはその領地も全て失ってしまいますしね。
太田様、こんにちは。
なるほど、そんな風に思われてるのですね。
ご教示本当にありがとうございました。