矢留大神宮(福岡県柳川市)

 

平家の落武者が創建

矢留やどみ大神宮の案内によると

神社の創建は、

「六騎」(ろっきゅう)と言われる、

平家の落武者の末裔が、

伊勢の神宮に参拝した事が

きっかけとなっています。

壇ノ浦の戦いで平家は滅びていますが、

その魂は、今もなお、

ここで生きている気がします・・・。

石橋

矢留大神宮で、

僕が見たかった所、第一位は、

参道入口に架けられた、

文政三年(1820)建立の石橋です。

200年前の姿が、

そのままで残っている上に、

今も現役で使われています。

「文政三年庚辰年」と

刻まれた欄干の文字。

風化しているものの

今でもくっきりと見えています。

真横から撮影。

左側の雁木は、船着き場として

利用されていたものでしょう。

正面から。

参道

石橋を渡ってすぐ左側の境内社へ。

御祭神は不明。

一の鳥居。

心地良い川沿いの参道。

クスノキの向こうに石橋を発見。

年代は分かりませんが、

江戸時代末期くらいの建立でしょうか。

そして、

この反対側にも石橋があります。

こちらは明治時代以降の建立かな?

参道右側の境内社へ。

屋根の神紋「丸に金」で、

金比羅神社である事が分かりますね。

狛犬。

吽形。

二の鳥居。

二の鳥居から側道に入って、

御手洗場みたらいばを撮影。

御手洗場近影。

境内側から。

御手洗場側面の案内。

「山門は我が産土「帰去来」より

産土の宮「大神宮」と神道詩人

北原白秋」

このように題され、

北原白秋が日本神話を題材として

作曲した交響曲「海道東征」の

紹介があります。

拝殿にて参拝。

拝殿から本殿へ。

本殿に参拝。

本殿横の境内社。

六騎ろっきゅう・矢留大神宮」の案内。

案内を書き出すと、

「1185年壇ノ浦で敗れた平家の落人は、

肥後路へ退避しました。

しかし、源氏の追求は激しく、

落武者六名は

柳川沖端に移り住み、

漁業をはじめたといわれています。

当時の人々は、

平家の身分の高い人達として、

六名の騎馬武者の意味で

「六騎」と称していました。

立花宗茂公が柳川城に復帰すると、

有明海の「漁業権」を得て

活動するようになりました。

こうして「六騎」が、

沖端漁業の基礎を築いたので、

漁業者のことを「六騎」と

呼ぶようになりました。」

「また、産土神(氏神)を

まつることに気づいた「六騎」の一人は

伊勢に参り、半鏡を授かった。

するとまもなく、

この矢留の地から半鏡が発見されたので、

伊勢大神宮から授かった

半鏡とつなぎ合わせて見ると、

不思議なことに一致し、

これは大神宮様の

お授けになったものであるとして、

天照大神を奉祀したのが、

矢留大神宮です。

時は1395年11月15日でした。

毎年11月15日、

矢留大神宮、六騎神社の

大祭がおこなわれます。」

このようになります。

六騎あってこその

大神宮だという事が

よ~く理解出来ました(笑)

そんな六騎を祭るのが、

拝殿右側に鎮座する

六騎神社です。

社頭。

「六騎の由来」

先程のよりも数倍詳しい内容ですね。

書来出すのが

めんどくさいので、割愛します(笑)

参拝。

境内社など

本殿左側に境内社へ。

宮地嶽神社。

稲荷大明神。

結界が張られた池。

忠魂碑に参拝。

最後は、

ツーショットで参拝完了です。

 

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