増上寺(東京都港区)有章院霊廟二天門

 

増上寺ではない?

戦前まで広大な寺域を誇った増上寺は、

昭和20年、空襲でほぼ焼けてしまい

その規模は数分の一程度になり

徳川家霊廟があった場所は、

プリンスホテルとなっていて、

焼け残った貴重な建築物である

台徳院霊廟惣門、

有章院霊廟二天門、御成門は、

プリンスホテルの敷地に建っています。

なので正確には

「東京プリンスホテルの有章院霊廟二天門」

こんな表題になるのでしょうが、

なんか変な感じですね(笑)

門の位置

まずは、増上寺のパンフレットで、

今回巡った二つの門の位置を

焼失以前の増上寺御霊屋図で確認。

赤丸は二天門で元あった場所

(多少の移動はあったかも)、

青線の御成門は移設されて、

現在の場所にある様で、

ともに「東京プリンスホテル」の

敷地内となっています。

有章院霊廟二天門

増上寺の境内から日比谷通り沿いを歩き、

すぐお隣離のプリンスホテル敷地にある

有章院霊廟二天門へ。

「有章院(徳川家継)霊廟二天門

芝公園3−3

東京プリンスホテル」

案内を書き出すと

以下になります。

「現在の東京プリンスホテル敷地には、

戦前、六代将軍家宣の文昭院霊廟と並んで、

七代将軍家継の有章院霊廟がありました。

プリンスホテル正面のに天文は

有章院霊廟の惣門です。

霊廟は八代将軍吉宗が

享保2年(1717)に建立しました。

その結構は

日光に劣らぬと伝わる程でしたが、

昭和20年(1945)に

東京大空襲で焼失しました。

この焼け残った二天門は銅板葺、

切妻造りの八脚揉んで、

左右に仏法守護の役目を持つ広目天、

多聞天の二点が祀られています。

焼けた文昭院霊廟の門に

持国天、増長天が置かれ、

合わせて四天王として祀られていました。」

やはり幸運の門ですね・・・

周囲が焼けてしまっても

生き残るとは・・・

そしてここからは

二天門三昧です(笑)

斜めから。

切妻の屋根が良くわかります。

日比谷通りを渡った歩道から

東京タワー・麻布台ヒルズとのコラボ。

豪華絢爛な造りは、

いかにも

「徳川家霊廟の二天門」といった感じで、

この姿を見ると、

ある意味落ち着きます(笑)

ちなみにこちらは、

家継さんのひいおじいちゃん、

三代将軍家光の廟所、

日光輪王寺・大猷院の二天門です。

深い赤と金色の配色には、

同じ匂いを感じますね。

近影。

正面の歩道から。

多聞天。

広目天。

扉も豪華。

最後に

東京プリンスホテルの駐車場へ回り

反対側(内側)を撮影。

御成門

次に同じくホテル敷地に建つ御成門へ。

都営三田線 御成門駅の入口。

「港区芝公園三丁目3」

この表示に

ラッキーナンバーが「3」の妻は、

大はしゃぎ(笑)

そして程なくして御成門に到着。

正面。

「御成門」

案内を抜粋すると

「増上寺(徳川家菩提寺)の

裏門としてつくられたが、

将軍が参詣する際に

もっぱら用いられたので、

「御成門」とよばれるようになった。

(中略)

増上寺三門(三解脱門)

旧庫裡門(黒門)

徳川家墓地の総門・二天門とともに、

関東大震災や太平洋戦争の

戦火から難をのがれて

今日に及んでいる。」

このようになります。

焼失前の地図を見ると、

二代将軍秀忠の奥院・宝塔の近くにも

御成門(天人門)というのが

あった様ですが、

これとは全く別物かと思います。

斜めから。

プリンスホテルの駐車場から。

高麗門ですから、

江戸城との関連が

強い門だったのかも知れません。

(あくまでも推測)

御成門で増上寺関連の散策は終了、

ここからは東京タワーの下を歩き、

麻布台ヒルズの展望室を目指します。

 

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