瑞鳳寺(宮城県仙台市)

 

二者択一

旅の最中は、

限られた時間を何に使うか

選択の連続で、

今回は「墓」か「寺」の二者択一を

迫られることとなりました(笑)

こちらは選択しなかったお墓への入口。

「公子公女の墓所 御子様御廟」

案内には、

「ここは五代藩主、伊達吉村以降、

六代宗村、七代重村、十一代齋義、

十三代慶邦の歴代藩主の若くして

死去した公子公女が埋葬されています。」

このように記されています。

行けないので、

ここからお墓方面に向い参拝。

下馬石

選んだ寺は「政宗山瑞鳳寺」。

文字通り伊達政宗のお寺で、

御子様御廟入口の目の前です。

左側の「下」の文字が目立つ

切妻屋根デザインの石柱横に

案内があるのでますはそちらへ。

下馬石。

「寛文三年(1663)

二代忠宗公の七回忌法要の際、

四代綱村公が荘子経吉に命じて

大坂天王寺の下馬碑を模写させ

坂下南側に立てた。

昭和四十年、山門前に移設。」

このように書かれています。

正面近影。

過去多くの下馬石を見てきましたが、

切妻屋根付きというのは、

恐らく初めてで、

これはかなり貴重なものかと思います。

裏面。

案内には書かれていませんが、

「朝鮮人書」と刻まれているので、

天王寺のオリジナルは、

朝鮮通信使の書かと思われます。

天王寺の下馬石が気になって

ネットで色々調べると

天王寺には、当時の物が残っていて、

それは寛永十四年(1637)の建立で、

日本最古の切妻屋根の下馬碑だそうです。

四代藩主の綱村さん、

目の付け所が素晴らしいですね!

この下馬石を見られただけでも、

瑞鳳寺に参拝した

甲斐があったというもの?

なんて大袈裟か〜(笑)

本堂

次に、寺頭左側の案内を確認。

内容を抜粋すると

「当山は藩祖政宗公の菩提寺として

寛永十四年(1637)二代忠宗公によって

創建された御一門格寺院である。

御本尊は釈迦、文珠、普賢の三体で

平泉毛越寺より遷したもの、

梵鐘は寛永十四年忠宗公の寄進に

よるもので県指定の文化財である。」

このようになります。

ここで気になる事が・・

創建された寛永十四年は、

先ほどの模写した下馬碑が

大阪に建てられたのと

同じ年なのです!

もしかして、

綱村さんは天王寺を訪問した時、

菩提寺建立と同じ年だと知って

そのままを造らせたのかも?

なんて

妄想というか想像は尽きませんね(笑)

山門。

伊達家三代の

御位牌安置所でもあります。

山門をくぐると

出迎えてくれる六地蔵。

なんだか、

大切にされている感満載で、

ほっこりさせられますね。

このお顔、癒されますな〜!

鐘楼。

本堂へ。

まだ雪が残る本堂。

絵になるな〜!

参拝。

彫刻も繊細で素晴らしい!

そして、

さらに素敵なものが・・

さいせんばこ〜!(ドラえもん風に・・笑)

木製の立体的な家紋もあしらわれ、

これは、めっちゃ渋いですね。

花塚

参拝後は本堂周辺へ。

花塚のエントランス。

「花の供養碑」の文字にびっくり!

花を供養するなんて初めて見ましたが、

日本人的感覚からすると、

違和感はないかな?

牛馬、鳥、魚、筆、針など

よろず供養するのが日本人ですからね!

花塚に参拝。

裏面には

「荒城の月」の作詞で有名な

仙台出身である土井晩翠の

詩文が書かれているようですが、

僕たちは見ていません(汗)

高尾門

次に本堂向かって左の高尾門へ。

案内によると

「俗に高尾門と呼んでいるが、

三代綱宗公の側室椙原お品の邸にあった。

紋所は綱宗公のお手作で

伊達家十種紋の一つ雪薄の紋である。」

このように書かれています。

この門を入って正面に建つのが、

栄西堂です。

栄西堂という名前から

栄西さんを祀ってあるのでしょう。

(確認はしていません・・)

ここまでで

瑞鳳寺の参拝は終了。

ただし、

残すイベントはあと一つあります・・

これでコンプリート(笑)

 

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