「赤べこ」購入(会津若松市・飯盛山)

 

物を見つける極意

昨日、仕事中に

重要書類が入ったバックを

どこに置いたか分からなくなり、

正直、クビになるのかと(笑)

ヒヤヒヤしましたが、

少しして無事、発見できました。

但し、発見したのは同僚です。

何かを探す時は、

すぐさまプライドを捨てて、

周囲の人に言いまくる事で、

「あ!そこにあったかも?」

とか、

「もしかしたらここじゃない?」

など自分だけで悩むよりも

数倍のアイディアが出て、

思いのほかすぐに見つかるものです。

この法則は、

「欲しいものを見つける時」にも

当てはまります。

今回、妻が「赤べこ」が欲しいと

言葉にしてくれていたお陰で、

僕も妻と同じ思いを共有でき、

思い描いていた通りの赤べこを

購入することが出来ました。

この「赤べこ」、

今では我が家で、

僕たちをめっちゃ癒してくれています!

飯盛山へ

飯盛山は、

慶応四年(1868)の

会津戦争(戊辰戦争)において、

藩防衛の為、少年で組織された

会津若松藩の「白虎隊」が

自刃した場所として知られています。

また、

江戸時代に建てられた

ユニークな構造を持つ

「さざえ堂」もあり、

会津若松でも

有数の観光スポットとなっています。

宿泊したホテルの前は

「白虎通り」という名前で、

この道路を一直線に2Kmほど行くと

そこはもう飯盛山です。

無料駐車場に車を置き、

徒歩で飯盛山へ。

行きがけは曇り空だったのですが、

帰りには青空になっていました。

従って、ここからの写真は、

行き帰りのミックスです(笑)

会津若松市内の案内図。

会津若松市は、

京都や札幌のように

「碁盤の目」に整備された

街並みなんですね。

飯盛山参道入り口。

白虎隊についての案内。

少し年季は入っていますが、

白虎隊について、

絵図と文章で構成されていて、

これを見るだけで、

白虎隊の創生と活躍、

そして悲劇の概略が

インプットされる優れものです。

少し広域の散策マップ。

飯盛山訪問の後、

松平家墓所へ行くことが、

急遽決定したのは、

この案内のお陰です。

「白虎隊墳墓の地

飯盛山参道入口」の標柱と

飯盛山についての案内。

「飯盛山は明治戊辰の戦いに

わずか16〜7歳の少年達が

主君のために戦い力つき、

ようやくこの地にたどりつき、

そして自決した「白虎隊士」の

自刃の場所と墓地である」

こちらも分かりやすい案内ですね。

「赤べこ」との出会い

参道に入って、少し行くと、

お土産屋さんを発見。

早速、妻が話してくれた

「赤べこ」を物色開始(笑)

店頭に並んだ赤べこには、

気に入るものがなかったのですが、

お店の女性が

「赤べこをお探しですか?

奥にありますよ!」

そう教えてくれたので奥に行くと、

僕たちが理想とする赤べこが、

サイズ違いで、

目移りするほど

幾つも並んでいていたのです。

そして、

この赤べこを購入。

長さ15cm位で、

我が家にはちょうど良いサイズです。

店員さん曰く、

「このサイズ、

これが最後の一つなんです!」

そう言って展示されたものを

包んでもらいました。

こんな時、営業トークとは考えず

ラッキー!と考えるのが次なる幸運を

呼び込む秘訣です(笑)

いや〜ホント購入できて良かった!

ここからは「動く坂道」もありますが、

それは使わず、

まずは徒歩で、

嚴島神社、さざえ堂を目指します。

 

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