高野山・奥之院(12)

 

霊屋の効能(笑)

高野山で出会う

立派で大きな墓所の多くは、

ほぼ同一企画の五輪塔なので、

正直、誰のものがどうだったかは、

あまり記憶に残ってはいません(汗)

一つだけ印象に残っているのは、

徳川秀忠の御台所、江姫の

超巨大な五輪塔のみです(笑)

しかし、

上杉謙信霊屋佐竹重慶霊屋

そして、今回参った、

松平秀康及び同母霊屋と

数少ない「霊屋」(たまや)を持つ

墓所のことは、

今でも心に刻まれています。

霊屋の効能は、参拝する者に、

その人の人生を強烈に

印象付け、後世の人に、

その存在を伝承出来ることでしょう。

ただし、僕みたいに興味がある

一部マニア?限定ですが(笑)

松平秀康及び同母霊屋

ここは強烈なインパクトがありました。

全部が石造りの霊屋なのですから。

霊屋全景。

接近できるのはここまでです。

案内。

「向かって右が、

越前松平家初代当主である

松平秀康を祀る霊屋で、

西暦1607年(慶長12年)に

二代当主忠直によって建立されました。

左は、秀康自身が母公を祀るために

西暦1604年(慶長9年)に

建立したものです。

その当時の粋を凝らし、

幅奥行き共7.5mの二基の石廟を並べ、

瓦や壁は勿論、内部の柱や棟木、

扉に至るまで全て石造りとし、

木材はほとんど使用されていません。

壁面に削りだされたレリーフを含め

当時の技術の高さを感じさせます。」

このように書かれ、

国指定重要文化財となっています。

松平秀康は、徳川家康の

次男として生まれていますが、

生母の身分が高くないので、

三男の秀忠が将軍に

なったという経緯もあります。

(他にも理由はあるでしょうが)

豊臣秀吉の養子となり

その後、秀吉と淀君の間に

鶴松が生まれたことで、

秀吉の後継者候補としては

不要となり、

結城家の養子に出されています。

なので、松平秀康よりも、

結城秀康としての名前が

一般的なようです(僕の感想)。

秀康さんの霊屋に参拝。

母様の霊屋に参拝。

ここは動画でも撮影。

ネットや書物で書かれている内容や、

福井城の石像だけ見れば、

秀康さんは、父である家康さんから

ちょっと疎んじられた子供という

印象しかありませんでした。

しかし、奥之院で秀康が建てた、

お母様の霊屋と

息子忠直が建てた秀康の

あまりにも立派な霊屋を見て、

今まで僕が抱いていた

結城秀康(松平秀康)の

印象は大きく変わりました。

お母様を大切にし、

そして、

息子忠直さんからも大切にされた

良き息子であり良き父だったのでしょう。

奥之院、本当に奥が深い所です・・・

肥前島原 松平家墓所

島原の乱(島原天草一揆)後、

幕領となった島原藩は、

その後、松倉家、高力家と続き、

その次に入封したのが松平さんです。

ちなみに今の島原は長崎県ですが、

江戸時代までは「肥前国」。

要するに佐賀県と一緒だったんですね。

参拝。

豊臣家墓所

ようやく天下人秀吉さん登場です!

参道も立派。

墓所。

案内。

「この墓所の正面には、

豊臣秀吉公とその母公、

秀吉の弟である大納言秀長と夫人など

豊臣一族の墓があります。

織田信長に続き

高野攻めを行った豊臣秀吉は、

高野山の興山応其上人の説得により、

高野攻めを取り止め、

以降応其上人の言葉に耳を傾け、

高野山を庇護するとともに

復興興隆につとめられました。」

このように書かれています。

ただ、どの墓が誰のものかは、

ここには書かれていません・・・。

多分(笑)秀吉さんの墓に参拝。

織田信長墓所

次は豊臣墓所とほど近い、

織田信長墓所へ。

参道の案内。

ありました!

筒井順慶と並んでいるのは、

信長と仲良し(笑)

だったからでしょうか?

信長さんの墓所に参拝。

ですが、

筒井順慶の案内が目立ちます(笑)

順慶さんにも参拝。

ここまでで、奥之院の墓所参拝は

ほぼ終わりに近づき、

この次はいよいよ、

弘法大師御廟へと向かいます。

(続く)

 

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