鵜戸神宮(宮崎県日南市)前編

 

妻の一言で予定を再変更

大雨の為、鵜戸神宮への参拝を

取りやめ、雨にも負けない(笑)

博物館系の観光をしていた僕たちが、

「やっぱり行くしかない!」

と触発されたのが、

みやざき歴史文化館で、

神話の映像を見て妻が言った

「神話って面白いね!」の一言です。

しかもそれが鵜戸神宮の御祭神の

誕生ストーリーを見た時だったことは、

みやざき歴史文化館の

ブログでも書きましたが、

雨で変更して訪問した場所で、

雨にも関わらず最初の目的地に

行くような示唆を受けるとは!

もちろん、こうなれば(笑)

再度予定を変更するしかありません。

やはり神様に呼ばれたからには、

顔を出さないといけませんからね!

鵜戸神宮本殿へ

みやざき歴史文化館から

鵜戸神宮までは車で約2時間。

思った以上にかなりの距離です。

鵜戸神宮バス停。

この前にある駐車場に車を置き、

ここから歩いて本殿へと

向かおうとしたその時でした。

お~あんなに降っていた雨が止んで

青空まで見えていますよ。

歓迎してくれたのかな?

神様、ありがとう!(笑)

「参拝時間のご案内」と書かれた

鵜戸神宮の鳥瞰図。

昭和の匂いがする看板、

手描き感がなかなか良いですね。

ここからは、上って下ってのルート(汗)

「鵜戸神宮御本殿まで徒歩15分」の案内。

トンネルを抜けると・・・

石段でした。

ここから下りで、

石段を下り切ると境内です。

宮崎県観光案内図。

日南市観光案内図。

やはり僕が一番気になるのは、

歴史と景観スポットに紹介されている

飫肥(おび)にある小村記念館ですね。

宮崎総合博物館で、小村寿太郎が

日露戦争終結の為の、

ポーツマス講和会議の勝負服として、

1905年7月25日に仕立てた

ブルックスブラザーズ製のフロックコートを

見て以来、かなり気になっていますから(笑)

右側が海、左側が山という

風光明媚な参道を進んで行くと

先に神門が見えてきました。

神門。

今日(11月24日)は、

水神祭の日ですね。

国指定名勝「鵜戸」の案内。

楼門。

「紙開発灯籠一対」の案内。

飫肥藩は和紙を作って

大阪で販売し成功したそうです。

その功労者である油屋善兵衛が

寄進したのが楼門前の灯籠です。

向かって右側の灯籠。

天保三年(1832年)の建立です。

左側の灯籠。

「紙開發 願主

大坂住 油屋善兵衛」

としっかり刻まれています。

今はどうなのか知りませんが、

日南(飫肥藩)に品質の良い和紙が

あったのは初めて知りました。

現代の灯籠とフェニックス。

宮崎ならではの風景なので、

思わず撮影(笑)

参道断崖下の海も見どころの一つです。

同じ宮崎県の日向市に鎮座する

大御神社は御社殿自体が

海辺の断崖に建っていますし

何だか海辺の神社に行くと

御祭神とともに大海原までが、

祭られている気になってしまいます。

皇族方御親拝・御参拝記録。

ここで、注目なのが、

左から3番目の

皇太子同妃両陛下の横に、

(上皇陛下・上皇后陛下)と

令和になってからの称号が

ちゃんと書かれている事です。

当然といえば当然でしょうが、

メンテナンスというのは、

大きな労力と気力と配慮が必要なもの。

それをされている鵜戸神宮さんは、

本当に素晴らしいと感じてしまいます。

「県指定建造物 鵜戸神宮本殿」の案内。

正徳元年(1711年)に

飫肥藩主、伊藤祐実が

改築したものを

明治、昭和、平成と修理を来る返し

今に至っていると書かれています。

千鳥橋。

手水舎。

手水の作法は、鵜戸神宮の

マスコットキャラクターの兎が

教えてくれます。

遥拝所的な場所。

ここで目を引くのが、

北原白秋が詠んだ歌。

鵜戸神宮に来ていたのですね。

もう少しで本殿。

絶景です。

真ん中の並に囲まれたのが、

御舟岩、その右側が、二柱岩。

玉橋。

ここからは本殿のある洞窟が見えます。

本殿前。

日曜日という事もあってか、

写真を撮るのに一苦労するほど

多くの参拝者で賑わっています。

ようやく本殿に到着。

御祭神の誕生地と伝わる洞窟に

鎮座した本殿は、

弁柄色に近い朱赤で、

その落ち着いた佇まいに

見入ってしまいます。

御創建は、崇神天皇の御代ですから

今から2千年以上も前になりますね。

御祭神は、「うがやふきあえずのみこと」

この神様がここに呼んでくださった神様です。

本殿に向かって参拝。

この後、本殿裏側の境内社や

乳岩などを巡ります。

今日の一枚

本殿横には、

このようなものがあります。

「首里城義援金のお願い」

僕たちが鵜戸神宮を参拝する

一ヶ月ほど前の10月31日

首里城が消失しました。

その首里城がある那覇市は

鵜戸神宮が鎮座する日南市と、

姉妹都市と書かれています。

微々たるものですが、

僕たちも気持ち程度を

納めさせていただきました。

早期の首里城の復興を

心から願うばかりです・・・。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Comment

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください