備中松山城(岡山県高梁市)後編

 

現存天守11城目

江戸時代に建てられ

今もそのまま残っている天守を

「現存天守」といいますが、

今回の備中松山城で、

現存天守攻城は11城目。

あとは、青森県の弘前城で、

12城ある現存天守の攻城は完結です。

天守

二の丸から本丸の天守へ。

本丸へ向かう石段の中程では

備中松山城のマスコット猫の

「さんじゅーろー」が

お出迎えしてくれています。

チケット売り場。

本丸南御門。

岩盤の上に石垣を配置し、

その上に天守を配置。

この備中松山城天守は、

天和三年(1682年)に

水谷勝宗によって

修築されたものと伝えられています。

(パンフレットによる)

岩盤アップ。

さらに岩盤をどアップ(笑)

ここから天守内部へ。

現存天守での恒例行事、

「入り口で靴を脱ぐ」(笑)

接続(つなぎ)廊下。

「この天守は二重二階であり

ここは一階ではなく

八の櫓と天守をつなぐ廊下である」

こんな説明を読みながら、右の天守へ。

石落し。

武者窓(連子窓)

一階内部。

天守の構造や、

高梁市(備中松山藩)の歴史など

懇切丁寧な説明で紹介しています。

天守の構造(外部)。

「竪板張り」という

縦方向に張られた腰板が、

この天守の特徴で、

多くは「下見板張り」という

横方向に張られたものが多いそうで、

今まで意識していなかった事ですが、

ここではじめて知りました。

現存天守としては、

備中松山城以外に高知城が、

竪板張りだと書かれています。

天守の構造(内部)。

内部にあるものとして、

特筆すべきものは、

「囲炉裏」でしょう!

天守に囲炉裏とは、

なんとも風流な・・・

な~んて思ってはいけません!

案内によると、

籠城が長引いた時のためを

考えてのものですから

生きるか死ぬかの囲炉裏なんですね。

天守の構造(其の弐)。

高梁150年。

大政奉還と備中松山城。

備中松山藩主、板倉勝静は、

老中首座という地位で、

大政奉還の

中心的役割をしたと書かれています。

戊辰戦争で旧幕府側についた結果、

朝敵とされてしまったものの、

岡山藩の攻撃の前、

備中松山城を無血開城した事で、

今もなお現存天守として

残っているというお話です。

同じく戊辰戦争では、

朝敵とされた姫路藩の姫路城でも

無血開城してお城が残ったという

経緯がありますね。

高梁に名前が変わった経緯など。

二階へ。

北側の「御社壇」。

御社壇とは、

小さな神社のようなもので、

神様を祭っている場所です。

ここでも天守最上階に

長壁(おさかべ)神社が鎮座する

姫路城と共通していますが、

これは偶然の一致なんでしょうか?

やはり天守に神様を祭ると

見えない力(ご神徳)に守られ、

良いことが起きるのかも知れません。

御社壇の中には、

小堀遠州、大石内蔵助など、

備中松山城と関わる

有名人(笑)が紹介されています。

二階南側。

南側の景色。

東側の景色。

ツーショットで天守散策は完了。

二重櫓

次にもう一つ、

江戸時代から現存している建物、

二重櫓へと向かいます。

天守の西側を歩き、二重櫓へ。

こちらが先程入った、

天守内から見た二重櫓。

二重櫓のアップ。

石垣を回り込んで、

天守とは反対側へ。

途中で見つけた

搦手門跡。

ここも桝形虎口になっています。

水の手門脇曲輪へ。

二重櫓も岩盤&石垣で、

見るからに壮観ですね!

またもや岩盤をどアップ。

何だか岩盤大好き人間に

なってきたかも(笑)

後曲輪への石段。

後曲輪。

櫓台のような石垣や

井戸らしきものが残っています。

後曲輪から見た二重櫓。

ここまでで、

備中松山城の散策は完了です。

城主さんじゅーろー

本丸前の石段で出迎えてくれた、

マスコット猫のさんじゅーろー。

帰りがけには料金所内から僕たちを

見送ってくれました。

板張りの色と同化している?(笑)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください