中尊寺(岩手県平泉町)本堂

 

紺紙金銀字交書一切経

中尊寺のパンフレットにある

ご由緒を書き出すと

以下になります。

「天台宗東北大本山。

850年、慈覚大師円仁の開山、

十二世紀初め

藤原氏初代清衡公が

前九年・後三年の合戦で

亡くなった命を平等に供養し、

仏国土を建設するため

大伽藍を造営しました。

惜しくも十四世紀に

堂塔の多くは焼失しましたが、

金色堂始め三千余点の

国宝・重要文化財を伝える

平安仏教美術の宝庫です。」

ここに書かれた

中尊寺の宝物の一つに、

藤原清衡が奉納した

「紺紙金銀字交書一切経」

(一般的には「中尊寺経」)

五千巻があったのですが、

そのほとんどは戦国時代末期、

豊臣秀次によって

中尊寺から持ち出され、

その後、四千巻ほどは、

高野山金剛峯寺の収蔵品として

現在は国宝となっています。

こんな経緯を知ったのは、

兵庫県、淡路島の南に浮かぶ

沼島ぬしま神宮寺を参拝した時のことで、

ここにも紺紙金銀字交書一切経が

二巻収蔵されてます。

こちらが沼島の神宮寺の案内で、

右側の二つが中尊寺に奉納された

紺紙金銀字交書一切経です。

金色と銀色の文字が交互に使われる、

めっちゃ手の込んだ素晴らしいもので、

当時の藤原清衡の「力」があってこそ

成し得た逸品でしょう。

そして、

この紺紙金銀字交書一切経(中尊寺経)、

平成二十五年に造顕された

中尊寺本堂の釈迦如来像と

深い繋がりがあったのです・・・

地蔵堂

一番の目的である金色堂を目指し

弁慶堂から月見坂に戻り、

長い参道を歩き続けます。

今回巡ったのは、中尊寺境内図の

真ん中あたり、地蔵堂・本堂です。

地蔵院の山門。

部外者は入れません。

少し歩くと右奥に

地蔵堂が見えてきます。

途中の瑠璃光院の山門。

ここも立入は出来ません。

地蔵堂前に到着。

地蔵堂を斜め前から撮影。

正面。

上がって参拝。

ご本尊の両側には、

中尊寺の山号である

関山かんざん」という名前の

日本酒が置いてありますね!

これを飲むと、

きっとご利益あるはずです(笑)

お地蔵様アップ。

錫杖の持ち方が斜めなのは、

少し珍しいかもです。

観音堂

地蔵堂のすぐ近くにある観音堂へ。

ここは時間をかけず(笑)参拝。

本堂

次に本堂へ。

本坊表門に到着。

中へ。

古い柱が年代を感じさせます。

雪が残った風景も素晴らしい!

鐘楼。

雪吊の付いた

枝ぶりの良い松。

手水鉢。

本堂正面。

本堂左斜めから。

鬼瓦の寺紋。

中に入って参拝。

ご本尊の釈迦如来。

手前両側には比叡山延暦寺から

分灯された不滅の法灯があります。

ご本尊と不滅の法灯について。

ご本尊の案内を一部書き出すと、

以下になります。

「平成二十五年(2013)、

再び丈六釈迦如来が造顕されました。

手に説法印を組み仏法を説くお姿は、

国宝「中尊寺経」の見返し絵に描かれる

釈迦如来像を写したものです。」

冒頭の画像、

「中尊寺経」の見返し絵を

拡大してみると

釈迦如来の姿形がよく似ていますし、

手の配置なども同じようですね!

沼島での紺紙金銀字交書一切経との出会い、

僕たちが中尊寺のご本尊をお参りする

伏線だったのでしょうか(笑)

こちらは、

東京国立博物館での特別展、

「中尊寺金色堂」のパンフレットです。

僕たちが中尊寺を参拝した時期、

金色堂の宝物の一部は

東京国立博物館に出張中でした(笑)

本堂を背に境内を一望。

最後は横綱土俵入り?

いや

雪に浮かれているだけの妻です(笑)

(続く)

 

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