願成就院・北条時政の墓

 

わかりやすい名前

お寺の案内によれば、

願成就院(がんじょうじゅいん)は、

源頼朝の奥州平泉攻めの

成功を祈願して建立されたお寺です。

「事が成就するように願ったお寺」

だから「願成就院」(多分)。

実にわかりやすいネーミングですね!

北条時政の墓

願成就院への参拝というよりも

北条時政の墓への参拝が、

訪問の主目的なので、

まずはお墓へと向かいます。

(本堂の仏様、ゴメンナサイ!)

国指定史跡 願成就院跡。

案内を要約すると

「当時の願成就院の姿は

発掘調査によって明らかになっています。

建物の礎石や雨落ち溝の

一部が見つかっていて、

特にこの一帯は基壇や

大量の瓦が見つかっている場所で、

承元元年(1207)に

時政が建立した「南塔」の

遺構と推定されています。

周辺の地形測量によって

広大な池の存在も想定されています。」

このようになります。

南塔の建立が、

時政が源実朝暗殺計画に絡んだ、

「牧氏事件」で伊豆に追放された

約2年後となっていますので、

思った以上に、

自由で、お金も使える

悠々自適な生活を

送っていたのかも知れません。

ある意味、「楽隠居」でしょう(笑)

願成就院・山門。

まずは山門左側のお墓・供養塔にお参り。

案内。

書き出すと以下になります。

「鎌倉時代の公式記録「吾妻鏡」と

近年発見された「転法輪抄」の

「伊豆堂供養表白」により

願成就院が北条時政によって造営され、

文治五年(1189)六月六日に

立柱上棟の法要が営まれて、

本尊阿弥陀三尊と不動・多聞

(毘沙門天)の形像が安置され、

源頼朝と後白河法皇の長寿と天下泰平、

そして北条氏の繁栄と

奥州藤原氏征討の成功を

祈っていることが明白になった。

今日大御堂にお祀りする

国宝の運慶作5軀の仏像は

正に創建時の形像である。

伽藍の造営は、

二代義時、三代泰時までの

40年間に及び北条氏の氏寺として栄えた。

前面に池が広がる

浄土洋式の庭園をもつ

大規模な臨池伽藍寺院であり

平泉の毛越寺を模したといわれている。

昭和48年に守山(後山)東斜面と

境内及び東側隣接地が

「史跡願成就院跡」として

国指定史跡に指定されている。」

奥州藤原氏を攻め滅ぼした時、

北条さんたちが毛越寺を見て、

「いいな~!伊豆にも建てるか!」

そんな気持ちになったのかも

知れませんね(笑)

山門をくぐると正面に大御堂が見えますが、

僕たちはここを左に折れて、

北条時政のお墓を目指します。

お地蔵様などが集められた一角に参拝。

お地蔵様に参拝。

ありました!

お墓です。

北条時政のお墓、正面。

「北条時政公没八百年忌供養として造立」

時政の功績などが書かれています。

数珠を持ってお参り・・・

真ん中がオリジナルでしょうか?

右側の三つ鱗の家門があしらわれた

宝篋印塔は新しめです。

斜めから見ると、

背後に小さな墓石が確認できます。

小さなお墓は2つありますね!

実は大きな墓の背後にある

小さな古い石積みが

「本物」という場合もあるので、

念の為、ここでも参拝しておきました。

大御堂

次に大御堂へ。

仁王像?

ここは高野山真言宗ですから

弘法大師御像もあります。

穏やかなお顔に癒やされます。

巨大な灯籠と大御堂。

参拝。

この日は「お休み」なので、

大御堂には入れませんが、

写真で国宝の仏像が紹介されているので、

これを見て、有り難さを戴きました(笑)

振り返ると、参道、山門の先に

韮山(にらやま)までが見えています。

境内散策

少し境内を巡ってみました。

大御堂横の石仏群。

茅葺屋根の本堂。

お寺のサイトには、

次のように案内されています。

「願成就院創建六百周年にあたり、

1789年(寛政元年)に

建立されたことがわかっています。」

本堂前の庭園、

「枯山水庭園 洗心庭」。

最後に大御堂前にてツーショット。

これにて

墓参&願成就院参拝は完了です。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください