神宮寺(兵庫県・沼島)

 

神宮寺という名前

神宮寺とは、神仏習合の時代、

神社に付属して建てられた寺の事で、

明治維新の神仏分離後、

この「神宮寺」という名称は

使われなくなっています。

そんな中、令和の世に

神宮寺の名前を見たのは、

沼島八幡宮のお隣の寺でした。

その案内がこちらです。

冒頭部分を抜粋すると、

「元慶四年(880)に開基された

由緒あるお寺です。

宮寺であるので、この寺の僧が、

神官とともに

八幡さんの守護にあたりました。

梶原一族の菩提寺となっています。」

このようになります。

梶原景時の末裔が、

沼島水軍を支配していた事は、

梶原五輪塔の参拝で知っていましたが、

菩提寺もちゃんとあるのですね。

ちなみに「神宮寺」、「宮寺」は、

神社が主体で、神社があっての「寺」。

「鎮守社」といわれる神社は、

お寺が主体で、

お寺あっての神社になります。

何だか、ややこしいですが、

鎮守社で、有名なのは、

東大寺の鎮守社である

手向山八幡宮でしょう。

宝物ほうもつ

沼島八幡宮の左隣に位置する神宮寺、

元々は同じ敷地内だったので、

お隣さんなのは当たり前でしょう(笑)

神宮寺の白壁には、

宝物の案内が貼ってあります。

左側、「尊勝法華曼荼羅」。

鎌倉時代後期のもので、

本尊として奉られていたと書かれています。

右側、「紺紙金銀字入大乗論」。

案内を書き出すと、

「藤原清衡により建立された

奥州平泉(岩手県)の中尊寺には、

大治元年(1126)に

清衡が奉納した

「紺紙金銀字交書一切経」があります。

神宮寺の縁起には、

梶原氏によりこのうちの二巻が

本寺院に奉納されたことが記されています。

この経巻は、紺紙に銀泥の界線が引かれ、

一行おきに金字と銀字で

書写した一切経です。

表紙には美しい唐草模様が、

見返しには釈迦如来が

説法している様子が描かれています。

平安貴族の仏教に対する深い信仰と

美意識が感じられる経巻で、

その様式や筆法は

平安時代後期の特徴が表現されている

秀作であるといわれています。」

このようになります。

ネットで色々と調べると、

清衡が奉納した

「紺紙金銀字交書一切経」は、

5千数百巻あったと言われていますが、

古物収集癖のあった豊臣秀次が、

権力を傘にその多くを持ち出してしまい、

中尊寺には、15巻ほどしかないそうです。

そして、現在において、

4千巻以上が高野山金剛峯寺にあり

国宝となっています。

秀次が高野山で切腹した時に

持って行ったのかもしれませんし、

秀吉が取り上げて、

高野山へ奉納したのかも知れません。

(勝手な推測)

紺紙金銀字交書一切経は、

その他にも多数流出しているようで、

そのうちの二巻が神宮寺の宝物に

なったという訳でしょう。

ここにも

沼島名物「音声ガイド」があるので、

詳しい事が知りたい人には、

有り難い限りです。

境内

塀の案内だけでも

すでに楽しめてしまった神宮寺、

ここからが本番です(笑)

山門。

手水舎。

手水鉢の下に古い鬼瓦が置かれ、

何となく餓鬼が抱えている風に見えます。

本堂に参拝。

「龍燈山」の扁額には、

「高野山門主有玄」とあります。

有玄さんを調べると、

高野山金剛峯寺、

410代目の座主(トップ)です。

ということは、

先程の高野山に多数存在する

紺紙金銀字交書一切経とも

繋がりますね!

もしかしたら、一切経は、

中尊寺→豊臣秀次→高野山

→梶原さん→神宮寺という

旅をしてきたのかも知れません。

境内の風景。

境内の風景(その2)。

左から宝篋印塔、鐘楼、

地蔵菩薩、地蔵堂が見えています。

右端は、弘法大師像でしょうか・・・。

南無北向地蔵尊に参拝。

最後に山門裏のお地蔵様に参拝。

 

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