中尊寺(岩手県平泉町)金色堂

 

主目的はお墓参り

奥州藤原氏の初代〜三代のご遺体と

四代の首級が眠る

正真正銘のお墓でもある金色堂。

妻の感覚からすれば、

主目的は「お墓参り」で、

有名な黄金に輝くお堂や仏像群は、

付け足しみたいなもの?

だったかも知れません(笑)

物質的なものにあまり関心が無い妻、

それでも写真だけでは分からない

螺鈿細工の微妙な輝きや精巧さには

大いに感動していましたので、

建物も見られて良かったかな?

本堂〜金色堂へ

本堂の釈迦如来像に参拝後は、

いよいよ本命の金色堂へ。

金色堂は境内図の左端あたりで、

それまでには、

幾つものお堂がありますが、

閉門時間を考えると、

適当にすっ飛ばして

先を急ぐしかありません(笑)

まずは、本堂西側の門をくぐり

再び参道へと戻ります。

金色堂まで最後の直線。

不動堂は遥拝気味に参拝。

峯薬師堂も同じく遥拝気味に参拝。

そしてここで妻が雄叫びを(笑)

「あれ!目がたくさんある!」

お〜目だらけだ〜(笑)

ということは、

ここの薬師如来様には、

目が良くなるご利益があるんでしょう。

金色堂(覆堂)

その後いくつかのお堂をスルーし、

遂に金色堂付近に到達。

この時、15時半前、

冬季閉門時間の16時半まではあと1時間、

これから金色堂や能楽殿などを巡るには、

さらなるスパートが必要です(笑)

国宝の諸仏や寺宝を展示する

讃衡蔵(さんこうぞう)。

拝観券はここで購入します。

金色堂と讃衡蔵が

セットになっていて、

窓口の方からは、

先に展示を見てから金色堂に行くように

案内されたのですが、

スパートが必要な僕たちは、

展示物をまともに見る余裕はなく、

写真撮影も禁止でしたので、

僕が覚えているのは、

ご遺体の安置に使った木の枕だけです(汗)

そして金色堂へ・・・

お〜写真で見た金色堂(覆堂)だ〜!

金色堂入口。

残雪と金色堂(覆堂)。

坂の上へ。

金色堂に入った時には

団体さんがいて、

端っこから眺めているだけでしたが、

音声案内が終わると、

ほぼ人はいなくなり、

僕たちは金色堂の真正面で、

しっかりと「お墓参り」を完了。

その後、

金色堂の拝観もゆっくりと出来、

超感動&大満足でした。

金色堂(パンフレット)

金色堂は撮影禁止なので、

ここからはパンフレットで

振り返ることにします。

中尊寺でいただいたパンフレット(表面)

今年(令和六年・2024年)は、

金色堂建立九百年と案内されています。

キリの良い年に参拝したものです(笑 )

パンフレット(中側)

御由緒を書き出すと

以下になります。

「天治元年(1124)造立。

堂宇全体を金箔で覆い、

随所に螺鈿細工・蒔絵などの漆工芸や

精緻な彫金を施して、

経典に説かれた「皆金色」の

極染浄土を表現しています。

三基の須弥壇の上には、

それぞれ本尊である阿弥陀如米、

両脇に観音菩薩・勢至菩薩、

さらに六体の地蔵菩薩と持国天・

増長天がそれを囲み、

稀有な仏像構成となっています。

金色堂はまた霊廟でもあり、

中央の壇の内部に初代清衡公、

向かって左の壇に二代基衛公、

右の壇に三代秀衛公のご遺体と

四代泰衡公の首級が納められています。」

さすが、

本家のパンフレットだけあって、

金色堂の内容を凝縮した

素晴らしい文章ですね!

平泉駅でいただいたパンフレット(表紙)

中尊寺の部分を抜粋。

東京国立博物館

特別展のパンフレット(表)

裏側。

この写真は完璧ですね!

中尊寺のパンフレットに

「本尊である阿弥陀如米、

両脇に観音菩薩・勢至菩薩、

さらに六体の地蔵菩薩と持国天・

増長天がそれを囲み、」

こう書かれた11体の仏像全てが、

正面から見られるのですから!

こんな形で特別展の恩恵をいただけるとは、

夢にも思っていませんでした(笑)

最後にツーショットで墓参は完了です。

今日のノスタルジー

讃衡蔵(さんこうぞう)の出口付近にあった

コカコーラの自動販売機に

目を奪われました。

ビンのコーラだけを販売しているのです!

しかも

ちゃんと栓抜きも完備していて、

なんだか昔を思い出し(笑)

ノスタルジーを感じまくりです。

 

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