壇ノ浦砲台跡(山口県下関市)
本気が未来を拓く
1600年、
関ヶ原の戦いにおいて敗軍となり、
取り潰されそうになりながらも
幕末まで生き残り、
明治維新に向けて奔走した、
長州藩と薩摩藩には、
「失敗から学ぶ」「捲土重来」
などなどの言葉が当てはまり過ぎます(笑)
また、薩摩で起きた薩英戦争、
長州での、下関戦争(馬関戦争)、
どちらも敵だった
イギリスとの関係を深める事により
その後の飛躍に繋がっています。
幕末、諸藩が何もしなければ、
その場での犠牲は無かったはず・・・。
しかし本気を出して
困難に立ち向かわなければ、
日本は他のアジア諸国と同じく
欧米の植民地となり、その後は
筆舌に尽くせないほどの苦しみと
天文学的な犠牲が出て、
日本という国は、
今とは全く違う姿だったはずです。
その意味で、関ヶ原の戦いというのが、
単に徳川が勝利し、
天下が決まっただけでなく、
敗者だった毛利、島津が、
260年後に大活躍する
原動力となった戦いでもあり、
日本にとって、幸運な
出来事だったとも言えるでしょう。
という事は、関ヶ原の戦いを誘発した
石田三成も
今の日本の平和に
大いに貢献していますね!
打首にされ、
めっちゃ痛かっただろうけど、
ありがとう三成さん(笑)
壇ノ浦砲台跡へ
立石稲荷大明神から再び
みもすそ川公園へ向かいます。
立石稲荷大明神側から撮影した
関門橋の巨大な橋脚部。
馬関開港百年記念碑。
下関は昔、馬関という地名だったので、
「馬関」と書かれています。
石碑が建てられた
昭和39年で100年なので、
令和2年だと156年ですね(笑)
東屋の中に鎮座する
天保製長州砲。
フランスが下関戦争の戦利品として
持ち帰っていたものを
貸与という形で返還してもらったそうです。
前から撮影。
こちらは、フランス政府了承の下
ロータリークラブから寄贈されたレプリカ。
下関戦争では、近代兵器を装備した
四カ国艦隊には、全く歯が立たず、
これを機に、攘夷から開国へと
舵を切った長州藩の転換期を
目の当たりにできます。
さらに近くで。
まるで本物のよう!
ここまで並べると迫力満点ですね。
砲台の一つには、
お金を入れると大砲の音と、
砲身から煙が出るという仕掛けもあります。
誰かがお金を入れて(笑)、
轟音と煙が出ていました。
長州砲(八十斤加農砲)の案内。
大砲と関門橋。
戦争と平和というコントラストかな?
ここまでで、下関の散策は完了です。
門司港駅へ
砲台近くの関門トンネル人道から
門司側へ歩きます。
海底を歩いて
県境を気軽に行き来出来るのが
何だか不思議・・・。
関門海峡めかり駅から
トロッコ列車に乗って10分、
門司港に到着。
門司港駅では、
豪雨災害で肥薩線が不通になり、
博多〜門司港間で運行されている特急、
「いさぶろうしんぺい・
やませみかわせみ」に遭遇。
ちょっとラッキーな帰路でした。