延暦寺・東塔(法然堂)

 

慈覚大師円仁廟への道

ここからが、比叡山延暦寺の主目的、

妻が必ずお参りしたいと言っていた

3代天台座主、慈覚大師円仁廟への

参拝となります。

起点は東塔地域の東側

(地図では下側)延暦寺会館で、

ますは法然堂を目指すのですが、

観光用のこのマップには無論のこと

廟までの道は、

Googleマップにもありません・・・

目指す円仁廟は、

矢印で示した、ただの「点」(汗)

こちらは拡大図ですが、

やはり道は・・・?(笑)

円仁廟を参拝した

数少ない先人達の記録を

ネットで調べると

起点は法然堂で、そこから

転げ落ちるような急坂を

坂本方面へ下る・・などと

書かれています・・・

とにかく行けるのか否か・・・

なんて、

そんな第三者的な観点は無しで、

妻の為にも

この聖なるミッションは、

成功するしかないのです(笑)

スタート

慈覚大師円仁の創建である

文殊楼を背にして石段を降りると

そこには立派な

大書院の門が配置されています。

右側の石碑が、

気になって確認すると、

昭和天皇と、

平成天皇皇后両陛下

(現在の上皇・上皇后両陛下)行幸時の

御座所跡です。

天皇陛下の祖先神、

天照大神のご加護も期待でき、

まさに神仏習合バックアップ(笑)

道なき道?のスタート地点としては、

最も相応しいとも言えそうですね!

延暦寺会館を右に見て、

坂を降り始めます。

「坂本方面 日吉大社 法然堂」

の道しるべ。

これって、比叡山を徒歩で下る

登山道ということですよね!

いや〜凄い道ですよ・・(汗)

あと100m。

まるでジェットコースター?

確かに坂を転げ落ちる感じですが、

ここはまだ、

ほんの序の口だったのです・・・

法然堂

法然堂の話の前に、

まずは延暦寺の絵看板で、

法然上人を確認。

「法然上人(1133〜1212)

浄土宗開山」

「久安3年15歳にして

比叡山に登り登壇受戒した上人は、

主に西塔黒谷に住して法然房源空と称し

以後20有余年間黒谷での

求道の日々が続いた。

比叡山を降りた法然上人は

京都吉水の地に住房を構え

法門に没頭する生活に入った。

当時の京都は火災・盗賊・大衆兵乱と

乱世さながらの様相であった中、

貴族より武士庶民まで

さまざまな階層の信徒が、

吉水の地に参集し、法然上人は、

これを一身に受け止めていた。

時に上人69歳、

若い弟子親鸞は29歳であった。」

僕たちはこの春、京都市黒谷町にある

金戒光明寺の法然上人の御廟

参拝していますので、

ここでの法然さんとの出会いには、

とてもご縁を感じてしまいます。

「法然上人得度御霊場」入口。

奥へ。

突き当たりに建つ

「南無阿弥陀仏」の石碑。

法然堂の扁額。

石碑の前には花が供えられ、

大切にされている感が漂ってきます。

お墓では無いけれど

法然さんの功績に敬意を表して参拝。

さあ、ここからが本番。

自分たちの体力と気力を信じて

行くしか無い!(笑)

 

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