延暦寺・横川(元三大師堂)
神仏への敬意
おみくじ発祥の地である
元三大師堂。
そのお堂の前には
こんな案内が貼られています。
「元三大師堂おみくじ ご案内
当堂には、
他の神社仏閣にございますような
運試しのごとく気軽に引けるような
おみくじはありません。
当堂のおみくじは選択の迷いについて
元三大師よりご指示をいただくもので、
先ずその迷いについて詳細をお伺い、
その後正式な作法をもって
引かせていただきますので
少しお時間を要します。
(内容によっては
引けない場合もございます)
お申込みの方には前もって
お電話にてのご予約と
させて頂いておりますので、
その旨ご了承下さいますよう
お願いいたします。
元三大師堂 当執事」
本来の主旨に従い、
正しく「おみくじ」を行うことを
毅然と明記された文言、
いや〜実に素晴らしい!
この案内を見た瞬間、
思い出したのが、
宮崎県川南町に鎮座する
白髭神社の立札です。
「当神社は崇高且つ
威力ある神々を奉祀る故に
不浄、不道徳、不心得者
立ち入るべからず。」
こちらも毅然としています。
東塔にあった、
伝教大師最澄さんの生涯を
紹介した絵看板の中でも
「自利利他」のフレーズで、
白髭神社を思い出していますので、
延暦寺において二度目の
白髭神社想起です(笑)
やはり、
仏様も神様も
向き合い方の根本は同じで、
「敬意を持って謙虚に接すること」
これに尽きるのでしょう。
参道
延暦寺を訪問したのは、
冬至も近い12月のこと。
晴れてはいるものの、
まだ午後3時半過ぎというのに、
陽は傾き、少し夕景が迫っています。
横川の端っこにある
元三大師御廟に参拝後、
一旦参道の分岐点まで戻り、
元三大師堂(四季講堂)へ。
左前方に赤いお社を発見。
赤いのは稲荷社でした。
元三大師堂の守護神的な
位置付けかも知れません。
神社の作法で参拝。
そして、
この付近には二つのお寺から
寄進された燈籠があります。
「和歌山那智青岸渡寺」
伝教大師最澄も参籠したという
青岸渡寺ですが、
以前参拝した青岸渡寺の思い出は、
豊臣秀吉が、
青岸渡寺を再興した時に寄進した
日本一大きな「鰐口」です(笑)
ちなみにこちらがその鰐口で、
直径は1.4m、
重さは450kgもあり
いかにも秀吉らしい寄進物です。
「東京調布深大寺」
こちらには、
鎌倉時代に造立されたという
2mほどもある元三大師像が
安置されているそうです。
深大寺には、
二度ほど参ったことがありますが、
(妻は多分未訪問)
その時は元三大師像なんて知らず、
「深大寺そば」を食べた
記憶しかありません(汗)
しかし、
元三大師さんとの
ご縁をいただいた今、
三回目の参拝を
するしかないかも?(笑)
元三大師堂側面。
入口の横には元三大師さんが
何たるかなどを記した、
石碑などが建っています。
吉田兼好「徒然草」より。
「三塔巡礼の事侍りしに、
横川の常行堂のうち、
竜華院と書ける古き額あり」
鎌倉末・南北朝の歌人、
吉田兼好さんも横川に来て、
歌を詠んでいるんですね。
「四季講堂」というのが
正式な名前ですが、
実際の掲示物なども含め、
多くは「元三大師堂」となっていますので、
ここではずっと元三大師堂と
書いています。
以下、案内を抜粋すると
「延暦寺中興の祖として仰がれる
慈恵大師良源(元三大師)の住房であった
定心房の跡をついでるお堂で、
はじめは弥勒菩薩を
本尊としていましたが、
いまは、元三大師の画像を
本尊としてお祀りして
大師信仰の根本道場となっているので、
元三大師堂の別名でも呼ばれ、
親しまれています。」
このようになります。
画像が本尊というのは、
珍しいかも知れませんね。
「元三大師と角大師の由来」
目に飛び込んでくるのは、
過去にも何処のお寺で
見た記憶のあるイラストですが、
案内を詠んで、
ここで初めてこのイラストの
意味を知ることができたのです。
案内を抜粋・要約すると
以下になります。
「永観二年(984)
全国で疫病が流行した時、
お大師さまは、人々を救おうと、
大きな鏡の前に自分のお姿を
映され静かに目を閉じ
坐禅に入られると、お大師さまの姿は
骨ばかりの鬼(夜叉)の姿になられた。
弟子がこの姿を写し取り、
大師は板木で
お札(ふだ)に刷るよう命じられ、
自らもお札を開眼された。
お札を各家の戸口に貼り、
病魔退散の実を見事に示された。
やがてこのお札
(角大師の影像)のあるところ
病魔は怖れてよりつかず、
一切の厄難から逃れることが出来た。
以来千余年、このお札を角大師と称し、
元三大師の護符として、
全国的に崇められている。」
「おみくじ発祥之地」
冒頭に書いた通りです(笑)
山門。
お洒落な扁額。
境内。
手水舎。
元三大師堂(四季講堂)。
渋い扁額。
「魔滅大師(豆大師)」の絵馬。
案内をまとめると
「寛永の初期、
河内の国の或るお百姓が、
田植えも無事に済み、
日頃から信奉する元三大師を此の堂に
詣でて祈願していた。
その日は昼頃から暴風雨となり
帰られぬこの百姓は、
濁流に呑まれる
自分の田を脳裏に描いたが、
村に帰った時、自分の田だけは
無事だった。
村人の話では三十余人の若者が、
他の周囲に堤を築き水をかい出して
濁流から守ったという。
元三大師は観音様の化身、
三十三身になぞらえて
三十三人の若者となって
このお百姓をお救いになったお話です。」
このようになります。
魔物を滅する事から「魔滅大師」、
ここから「豆大師」と
なっているようです。
参拝後、山門に向かおうとしたら
空にはまるで昇龍のような雲が・・・
やはり元三大師さんの
偉大な霊力が雲に乗り移って
僕たちを見送ってくれたのでしょう!
(あくまでも前向きな解釈・・笑)