笠之原基地地下道入口(鹿屋市)
「笠野原」と「笠之原」
川東掩体壕の説明では、「笠野原」、
笠之原基地地下道入口の説明では、
「笠之原」と同じ読みながら
二つの漢字が用いられています。
どちらが本当の漢字なのか、
それとも両方「あり」なのかは
分かりませんが、
ここではあくまでも
「現場」の案内に敬意を表し
そのまま「笠之原」と書く事とします。
地下道入口
地下道入口に来る前に
川東掩体壕で見たのがこちらの地図です。

真ん中あたりに
「笠野原基地地下道入口」とあります。
(こちらは笠野原です・・笑)
この距離ならば徒歩で行けると判断し、
車は掩体壕の駐車場に置いたまま出発。

農地の一角に立つ地下道入口。

背面に案内があるので、
全文を書き出します。
「旧笠之原海軍航空基地跡地 沿革」
「現在地は旧笠之原海飛行場として、
大正十一年八月から
昭和二十年八月十五日まで
二十四年間に亙り、
旧陸海空軍の飛行場基地として
使用されていた。
太平洋戦争末期の
昭和十九年一月十五日には
海軍航空基地が設置され、
田中隊一個中隊が
常駐することとなった。
又、昭和二十年一月には
第二百三航空隊
零式戦闘機七十二機が配備され、
特別攻撃隊として
南海の戦場に散っていった。
その後昭和二十年三月十八日の
連合軍の集中爆撃のため、
格納庫を始めとする基地施設は全滅し、
当時を物語る唯一の遺物として、
このコンクリート入り口が、
東西に走っていた滑走路へ通ずる
地下道入口並びに地下通路司令室として
現存しているものである。
当地は民有地を買収して
飛行場がつくられた関係上、
終戦により地元地区民に
農地として無償で払い下げられ、
現在に至っている。」

こちらが正面。

間口は人一人がやっと通れる幅で、
これは空爆を考慮しての対策でしょう。

地下への階段は埋められて、
お酒が一つ置かれています・・・

供えられたお酒に釣られ、
僕たちも何故かここで参拝。
特攻隊員の皆様、
通常攻撃で潜没された方、
壊滅的大空襲でお亡くなりになった
基地関係者の方々、
安らかにお眠りください・・・