川東掩体壕/海軍航空隊笠野原基地跡
臨機応変
川東掩体壕には鉄筋が使われていません。
その理由は手抜き工事じゃなく、
物資不足で鉄筋が調達できなかったからで、
その代わりに木材と玉石を入れています。
どこかで聞いたような話だと記憶を辿ると、
以前訪問した熊本県小国町の幸野川橋梁では
鉄筋の代わりに「竹筋」を入れた
というお話でした(笑)
無いものねだりをするでもなく、
また、強度云々を言う前に、
今あるものを使って
迅速に作り上げられた川東掩体壕。
国家存亡の危機にあたり、
臨機応変というのか、
必死で対応した当時の人々・・
見習うべきことは多いです・・ね!
掩体壕散策
鹿屋周辺には、
鹿屋基地、串良基地など、
幾つかの特攻隊基地跡があり、
その一つが川東掩体壕がある
海軍航空隊笠野原基地跡です。

掩体壕横に駐車場完備はあり難し!

案内板も完璧です。

以下、案内の抜粋です。
■掩体壕について
「掩体壕とは、戦時中に航空機や物資などを
敵の攻撃や爆風から
守るために作られた施設です。
土をコの字型に盛ったもの(無蓋掩体壕)
からコンクリート製のもの(有蓋掩体壕)
まで、たくさんの掩体壕が
基地周辺に建設されました。
この掩体壕づくりには
大人から子どもまで
多くの人々が動員されました。」
「この川東掩体壕は、
笠野原基地で使用されていたもので
唯一現存するものです。
この中には零式艦上戦闘機(零戦)が
入れられていたと言われています。
戦時中の鉄筋不足を補うためか、
アーチ状のコンクリートには
玉石が混ぜられています。
戦争の記憶を後世に伝える
貴重な遺跡です。」
■笠野原基地について
笠野原飛行場は、
40haの敷地が農家から借り上げられ、
在郷軍人や青年たちの奉仕作業により、
大正11年(1922)
大刀洗陸軍飛行場(福岡県)の
離着陸用の民間飛行場として誕生しました。
その後、格納庫・整備工場・兵舎などの
施設が増築され、
敷地は120haまで拡張されました。
真珠湾攻撃に参加した
第2航空戦隊艦爆隊も、
この飛行場を使用していたとされています。
昭和20年(1945年)1月時点では
零戦72機が配置されていましたが、
同年3月18日以降に行われた
米軍の集中爆撃により、
格納庫をはじめとする基地施設が
壊滅的な被害を受けました。
東西・南北の滑走路を含めた基地施設は、
終戦後には払い下げられたため、
現在は農地や住宅地となっています。」

散策前に掩体壕に敬礼する妻。

正面。

斜めから。
コンクリの厚さは、
以前、福岡の稲童や
大分の宇佐で見たのよりも
かなり薄い気がしますが、
ここが急ごしらえだった
名残りかも知れません。

砂利率が多いコンクリ。
鉄筋代わりの木片も見えていますね!

木片を拡大。

爆撃の穴でしょうか?

側面から背面へ。

斜め後ろから。

後部正面。
上部の草が、
往時のカモフラージュした姿を
演出してくれています。

取り壊された掩体壕の一部。
鹿屋基地内にあった掩体壕ですが、
写真を見ると宇佐と同じ規格のようで、
かなり分厚く作られているのは、
鹿屋の方がまだ資材に余裕がある時代に
作られたからかも知れません。

最後は飛行機ポーズの妻とツーショット。