七人塚(鹿児島県垂水市)
急上昇ワード「牛根」
鹿児島旅での急上昇ワード、
それは「牛根」です(笑)
牛根は垂水市の一地域ですが、
歴史がらみの見所が満載で、
牛根麓稲荷神社の埋没鳥居、
牛根城、安徳天皇陵伝承地、
江戸時代の造船所跡、
そしてここ七人塚がある
平家の落武者の平野家屋敷跡、
(後に宇喜多さんを匿った平野家)
それらに関係する神社など、
牛根地区を心ゆくまで巡るとすれば、
確実に一日を費やす事になるでしょう。
七人塚
宇喜多秀家公潜居地跡を訪問後、
帰りがけに平野家ゆかりの七人塚へ。

分岐点。

道を塞ぐというか、
何かを護るかの如く横たわる大木が
結界を感じさせます。

大木の下を無事通過する妻。

七人塚(右)と妻。

「七人塚」と「平野家」と「宇喜多秀家公」
以下案内全文です。
「「屋島の戦」に続く長門での
「壇ノ浦の戦」で源氏に敗れた平家は、
四国や南九州の各地へ逃れ、
平野家一族(平野水軍)も
ここ牛根辺田に落ちのび土着しました。
源平合戦に勝利した後も
源頼朝による平氏追討、
平氏一族・平氏残党の探索は
厳しく続きます。
しばらくして山伏に姿を変えた
源氏の追手7人が平野家一族を
暗殺にやってきますが
平野家随一の剣客が夜陰に乗じて
追手7人を倒したと伝えられています。
水軍であった平野家は、
操船術や造船術を持っていたことや
南方諸島との貿易で得たものまた、
地元でとれる焚き木や
つばき油や蝋の原料(ハゼの木)を
島津家に献上していたため、
武士の身分ではないものの
名字・帯刀を許され、
この地の有力者でした。
平野家ではこの7人の霊を慰めるため
塚をつくり
手厚く供養したそうです。
後の世、この地に潜伏した秀家公は
雨の日も雪の日も「七人塚」に日参し、
手を合わせたと言われています。
平野家では、この「七人塚」を代々管理し、
昭和60年(1985年)4月に
氏神祭りと同時に「七人塚」を祭る行事が
800年祭として盛大に執り行われました。」
平家滅亡後、苦難の道を辿って来た
平野家のルーツがあったからこそ、
同じく関ケ原で敗れて逃走中だった
宇喜多秀家への同情の念は、
かなり深いものだったと推察します。

屋島の山上にある
獅子の霊厳展望台からの景色。
ここに水軍である
平野家の船もいたのでしょう・・

壇ノ浦。
左は源氏の総大将、源義経、
右は平氏の総大将、平宗盛像。
平野家は最後までこの海で戦い、
運よく生き残り、
そして牛根へ落ち延びたのですね・・

七人塚を示す巨木と妻。

幹の中の祠(塚)。

参拝。
源氏の追手の方々、安らかに・・・
その後妻が発見したのが、
こちらです・・・

「幹に丸がいっぱいある!」
そう言って興奮していました(笑)