恵林寺(山梨県甲州市)後編

 

武田信玄公訓言

恵林寺参拝時、

庫裡(大庫裡)の前で出会ったのが、

武田信玄公訓言の碑です。

碑文をそのまま書き出してみます。

「凡そ軍勝五分を以て上と為し

七分を中となし十分を以て那須その故は

五分は励を生し七分は怠を生し

十分は驕をするか故たとえ戦に十分の

勝ちを得るとも驕を生すれば

次には必す敗るるものなり

すへて戦に限らず世の中の事

此の心かけ肝要奈利」

確かにそのとおりでしょう!

僕もよく有頂天になって

失敗を重ねてきたものですから(汗)

徳川家康のご遺訓の一部、

「勝つ事ばかり知りて、

負くること知らざれば

害その身にいたる」

ここにも共通していますね!

庫裡

武田信玄の墓所はじめ、

恵林寺内の有料見学は、

庫裡からスタートです。

まずは前庭に置かれた庫裡の鬼瓦と

妻のツーショット。

こんな大きなものが

乗っかっているのが、こちらです。

庫裡へ。

入口右端で見つけた「本日のご出勤」。

こんなユーモアに思わず笑顔です!

きっと素敵な住職さんが

いらっしゃるのでしょうね。

料金所前のかまど。

風林火山の漢文が目を引きます。

方丈

庫裡から方丈へ進み、

まずは、方丈正面の庭園を見学。

方丈を背にして庭先、

開山堂、勅使門を撮影。

本堂に参拝。

武田信玄墓所

恵林寺を参拝したきっかけは、

武田信玄のお墓があること。

しかし、公開されるのは、

信玄公の月命日である毎月12日のみ。

従い、直接お参りは出来なくとも

それで良いと思っていました。

しかし、本堂で参拝後、

順路を辿っていくと、

何だか「見られそう」な

雰囲気になってきたのです。

左側の木橋から先は撮影禁止で、

ここから写真はありませんが、

この橋の先には「うぐいす廊下」があり、

そこから案内に従って行くと、

宝篋印塔と五輪塔が並んだ、

武田信玄の墓所が見えて来ます。

そして、僕たちがいる建物と

墓所とは土の庭を隔てて

少し間があるのですが、

何とサンダルが準備してあり

墓前少し手前での参拝が可能なのです。

こんな情報は全く無かったので、

僕も妻も感動しながら

墓参させていただきました。

墓参後、明王殿の外から撮った

墓所入口の屋根

(左端に小さく見えてます)。

拡大するのは憚られるので、

ズームはしませんでした。

柳沢吉保の墓所と坐像

信玄公の墓所から右手に

徳川綱吉の側用人で、

甲府藩主だった柳沢吉保と妻のお墓、

そして、柳沢吉保の坐像があります。

こちらも「見学コース」に

入っていましたので、

お参りさせていただきました。

吉保さんが亡くなり、嫡男の吉里さんが

大和郡山(奈良県)に転封となったとき、

柳沢家の菩提寺である永慶寺も

一緒に引っ越ししたのですが、

吉保さんも甲斐源氏の流れで、

武田信玄を尊崇していたとかで、

ご夫妻のお墓だけは恵林寺に改葬され、

信玄さんの近くで

お眠りになっているというわけです。

恵林寺庭園

信玄公の墓から

方丈の裏側に戻ると

そこには庭園が広がっています。

恵林寺のサイトによると

「国の名勝指定を受けている庭園。

今日、恵林寺の庭園は、

京都嵯峨野の天龍寺、

嵐山の西芳寺(苔寺)庭園とともに、

夢窓国師の代表的な

築庭庭園として有名である。」

このように書かれています。

石橋や滝がいくつかあり

目と耳で癒やされます。

カップルシート。

本当にカップルらしき人たちが

向かい合って座り

庭園を眺めていました。

やはり動画がわかり易いでしょう。

外に出て、開山堂前でツーショット完了。

明王殿

次に明王殿へ。

途中三重塔を見学。

この下は、

納骨堂になっているようです。

明王殿のエントランス。

明王殿の唐門。

この中に安置されているのが、

こちらの不動明王様です。

今はお出かけ中とのことで、

逆に撮影が出来ました(笑)

この先にあるのが、

信玄公の墓所です。

明王殿は墓所を

護るような形で建てられていて、

いわば、明王殿自体が、

武田信玄公の墓所と

言えるかも知れません。

稲荷社

明王殿参道と方丈の間に

鎮座する稲荷社。

参拝。

武田信虎公追福の塔

武田信玄は父である信虎を追放し、

家督を継いでいます。

(理由は諸説ありここでは割愛)

案内を要約すると

「信虎の追福の塔を

恵林寺に建てたのが、孫の武田勝頼で、

信長の兵火により亡失したものを

ここに再建した」

このようになります。

信玄公と父である信虎公は

難しい関係だったのでしょうが、

勝頼公にとっては

良いおじいちゃんだったのかも

知れませんね。

三門の礎石

説明は見当たりませんでしたが、

三門の礎石があります。

天正時代ということは、

信長が焼き払った三門の礎石かな?

大小切騒動殉難の碑

明王殿向かって左側に

このような案内があります。

僕が聞いたことの無い言葉、

「大小切騒動」ですが、

案内やWikipediaを読むと

だいたいこんな感じになります。

「大小切とは、簡単に言うと、

武田信玄以来、

甲府界隈で行われてた

納税者にとっては、

税負担の軽減につながる税法の事。

これを明治政府が

「もう止めるよ!」といったから

義憤に駆られた人は

立ち上がったものの

騒動は鎮圧され、

代表者たちは、

恵林寺の武田信玄の墓前で、

時代が変わったことを告げられ、

首謀者は処刑されたり

その他多くの人が罰を与えられた。

その名誉回復がなったのが、

明治二十二年。

その後明治二十五年、

この碑は建立された。」

世の中の変化に翻弄された

多くの方々に参拝。

はんにゃ

明王殿のさらに左側にあるのが、

倉庫(神宝庫?)らしき建物です。

ここで、不思議なものを発見。

唐破風の屋根の鬼瓦、

めっちゃ怖いはんにゃの顔ですね!

これにて、恵林寺参拝は完了です。

今日の東司

お寺ではトイレのことを

東司(とうす)とか

雪隠(せっちん)とかいいますが、

ここにはその「東司」がありました。

東司の横にちゃんと

「便所」の文字が添えられていますね!

 

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