2020/07/12

恵蘇八幡宮(福岡県朝倉市)

 

旅のきっかけは漏刻

「遅刻ではなく、

「漏刻」(ろうこく)です(笑)

どこへ旅するかは、

いつも気分と休みとお金次第。

今回の旅は、斉明天皇の時代、

皇太子である中大兄皇子

(後の天智天皇)が作ったという

奈良県明日香村の

水落遺跡の「漏刻」を最近テレビで

紹介されていたのがきっかけでした。

テレビを見て妻が

「漏刻、見てみたい!」というので、

「だったら近所にもあるから見に行こう!」

そんな乗りで始まったのがこの旅でした。

何故、斉明天皇・天智天皇にまつわる

漏刻が福岡県にもあるのか?

それは、このふた方は、

白村江の戦いでも知られる

百済救援の為、現在の福岡県朝倉市に

滞在していた事があるからです。

また、その朝倉で斉明天皇は、

崩御されています。

思った以上に福岡との

繋がりがある方々なので、

その功績などを顕彰する意味も含め、

地元では、

漏刻(模型)を作ったのでしょう。

恵蘇八幡宮へ

実はここ、数年前に一度、

FUKUOKA 1DAY PASSの旅」で

妻と二人で参拝しています。

その時は、僕が以前見た漏刻が、

神社の隣にある「木の丸公園」の

一角に置かれているのは覚えていましたが、

時間の都合上、訪問していませんでした。

今回は、木の丸公園で、妻とともに

漏刻を見るのが第一の目的ですが、

まずはその前に、

斉明天皇、天智天皇を祭る

恵蘇八幡宮に参拝した次第です。

社頭で目に入るのは、

恵蘇八幡宮のシンボル、大樟です。

巨木好きだから目に入るのかも(笑)

一の鳥居。

「元禄三年甲戌」と刻まれていますので、

1690年の寄進です。

貫部分の修復跡はありますが、

綺麗に維持されています。

恵蘇八幡宮木の丸公園説明。

木の丸公園案内図。

斉明天皇の殯(もがり)をした場所が、

斉明天皇御陵跡として残されています。

(古墳なので推定でしょうが)

社頭の猿田彦大神。

その他の祠。

二の鳥居。

石段を上がって御社殿へ。

見えてきました!

拝殿。

狛犬は、文政六年(1823年)の寄進。

吽形。

常夜燈は、

明治三十五年(1902年)の寄進。

なかなかお洒落なデザインですね!

左側の常夜燈。

御由緒。

向拝の彫刻。

真ん中の餓鬼?が印象的。

恵方盤もあります。

参拝。

賽銭箱もお洒落。

御社殿の側面へ。

左が本殿、右が拝殿。

本殿裏の境内社。

拝殿前でツーショット完了。

漏刻(水時計)

以前、木の丸公園の

「時の広場」に置かれていた漏刻が、

どういう理由かは分かりませんが、

恵蘇八幡宮の境内に移されていました。

これが漏刻(模型)。

漏刻(水時計)の案内。

「この漏刻は、4個の桶を

段違いにならべたもので、

第1番目を夜天地、第2を日天地、

第3を平壺、第4を万水壺といい、

万水壺の中には矢が立てられています。

1つのつぼに水を注ぐと、

水は管を通って順番に

1番下のつぼである万水壺へと流れ込み、

万水壺に水が溜まるにつれて、

矢が浮き上がるようになり、

矢に記された目盛りを読み取ることで、

時刻を知る仕組みとなっています。」

このように書かれています。

良かった~!

これで旅の目的は果たせたぞ!(笑)

御神木

社頭から見えた大樟を

境内から眺めてみました。

樹齢は500年前後でしょうか。

石造物など

大クスの横で発見したのが、

注連縄を巻かれて、

大切に祀られた石です。

天文十七年(1548年)と刻まれ、

「太刀八幡○○」

「肥後○城主」

などと刻まれています。

台座には、

「昭和56年11月

山田堰改修工事中に

上流右岸の水底から発掘

ここに祀る」

このように書かれています。

凄いものを発見していますね!

境内下方にある「関守の墓」。

斉明天皇の時代に

関所を守った方々の墓だそうです。

そして、石造物の最期を飾るのが、

こちらの「塞の神」。

やはり塞の神らしいオブジェの

オンパレードですね・・・

どぶろっくのネタ、

「大きなイチモツをくだ~さい~♪」

を思い出してしまいました(笑)

 

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