旧渋沢邸「中の家」(埼玉県深谷市)
血洗島と中の家
昨年の大河ドラマ、
「青天を衝け」では、「血洗島」と
「なかんち(中の家)」という言葉を
よく耳にしていたので、
どんな場所なのか気になっていた所、
たまたま、
鉢形城とセットで行ける事に気づき、
訪問を決定しました。
「血洗島」の由来。
はっきりした理由は
分からないというのが結論ですが、
いくつかの説があるようで、
下記のように書かれています。
「1.江戸時代の文献には
「血洗島村」とある
2.深谷市には
「○○島」という地名が多く、
自然防波堤や島のように高まった場所に
「島」と名付けられている。
3.「血洗」は荒地を表す「地荒」や
川の水に表れる土地
「地洗れ」が変化したもの。
また、アイヌ語を起源とするものなど。
4.渋沢栄一は、
赤城の山霊が他の山霊と戦って
片腕を怪我した際、
その傷口をこの地で洗ったため、
「血洗島」という村名になったという
説を語っている。」
また、「中の家」(なかんち)について、
「血洗島の開拓家の
ひとつとされる渋沢一族は、
分家して数々の家を興しました。
「中の家」もそのひとつで、
呼び名は各渋沢家の
位置関係に由来して、
「中の家」と呼ばれています。」
このように書かれています。
渋沢栄一生誕地
渋沢栄一が生まれた場所が、
旧渋沢邸中の家として、
観光名所の一つになっています。
渋沢邸前の駐車場から。
昭和59年に建てられた案内。
簡単に言えば、
江戸末期~昭和初期にかけ
日本の実業界を牽引した偉い人です。
新一万円札の顔になる方なので、
是非僕を気に入って欲しい(笑)
観光案内。
立派な薬医門をくぐり中へ。
主屋は耐震工事中ですが、
外観のみの見学が出来ます。
案内。
「旧渋沢邸「中の家」に残る建物は、
主屋、副屋、4つの土蔵、
門、塀から構成されます。
明治時代の埼玉県北部の
豪農の屋敷として貴重な歴史遺産です。
渋沢栄一も
天保11年(1840)に
この地で誕生しました。」
このように書かれています。
青年期の渋沢栄一像。
徳川慶喜に
仕えていた頃でしょうか・・・
庭。
工事中の主屋。
土蔵Ⅱ。
家業の藍染についての案内。
土蔵Ⅰ。
案内。
米蔵だったと書かれています。
米蔵の扉は、
まるで金庫の扉の如く分厚いのです!
米=金ですからね(笑)
土蔵Ⅰの奥には竹林があり、
その前には3つの石碑が建っています。
石碑の案内。
「栄一の眠る東京都台東区の
谷中霊園にある渋沢家墓所内に
建立されたものです。
平成26年(2014)3月に
現在の場所へ移設されました。」
このように説明されています。
先妣渋沢氏招魂碑。
栄一の母、渋沢えいの招魂碑。
晩香渋沢翁招魂碑。
栄一の父、渋沢市郎右衛門の招魂碑。
渋沢平九郎追懐碑。
尾高惇忠翁の弟で、
栄一翁の養子となった
渋沢平九郎の追懐碑。
最後に主屋前にてツーショット。
血洗島に血痕ならぬ
足痕を残せて良かった~(笑)