福智下宮神社(福岡県福智町)

 

福智三宮

山頂に鎮座する神様が、

人里に祭られるようになるパターンは、

各地で見られますが、

福智町の福智神社も、

標高901mもの高峰である

福智山の山頂には

福智上宮神社、

中腹には、福智中宮神社

そして、麓には今回参拝した

福智下宮神社が鎮座し、

これらを総称して「福智三宮」と

呼ばれているようです。

上宮は901mか・・・

僕らは恐らく参拝しないでしょう(笑)

社頭

福智山から流れ出る、

福智川に沿って、

上野焼(あがのやき)の窯が、

道路沿いにいくつも点在しています。

焼き物好きにはたまらないでしょうが、

焼き物に興味が無い僕たちには、

宝の持ち腐れのような景色です(笑)

そんな光景を見ながら福智下宮に到着。

一の鳥居。

狛犬は珍しく向かって右側に

吽形が配置されています。

もっともこの表情だと、

「い~形」とも言えそうですね。

左側は阿形。

中段

石段で一つ上の段に上ると、

そこには幾つもの見所があります。

二の鳥居。

やはり右側に吽形。

左側の阿形。

風化の状態からして、

江戸時代後期から

明治時代の寄進と勝手に推定。

石碑。

これが何を意味するのかは、

不明です。

河村光陽先生生誕地記念之碑。

石碑の裏側を見ると

河村光陽さんは、

「かもめの水兵さん」

「うれしいひなまつり」

「グットバイ」「船頭さん」

「赤い帽子白い帽子」

「仲よし小道」

「りんごのひとりごと」など、

数々の童謡の名曲を

作曲した凄い方でした。

明和元年(1764年)建立の

興玉神と、

文政五年(1822年)建立の

猿田彦大神。

伊勢の二見興玉神社の御祭神は、

猿田彦大神(興玉大神)ですから、

どちらも導きの神様なのでしょう。

本殿へ

木々に覆われた参道を

さらに進んで行きます。

古めかしくて、趣のある燈籠。

石畳も江戸時代っぽくて、

テンション上がってきます(笑)

拝殿が見えて来ました。

手前の石段の先の広場は、

その昔、社殿か、神宮寺のような

建物があったのかも知れません。

拝殿。

参拝。

やはりここも神紋は、

小倉藩主小笠原さんの

家紋と同じ三階菱ですね!

神社の御由緒などは、発見出来ず、

歴史なども分かりませんが、

やはり江戸時代は藩主様も

かなり大切にされていたのでしょう。

本殿。

彫刻が凝っています。

境内社

次に本殿脇の境内社へ。

白龍王大神。

御祭神は不明。

最後に拝殿前でツーショットで、

参拝は完了です。

 

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