船上神社 久保神社(2019年高知の旅)

 

お隣の神社

高知縣護國神社を散策中、

偶然見つけたのが、

船上神社、久保神社です。

一瞬、護國神社の境内社かと思うほど

同じ山肌に鎮座していて、

これも何かのご縁だと参拝したのです。

誰を祭っているのか?

護國神社の石垣が終わるあたりに

鳥居が建っています。

一瞬、裏参道か、

先程書いたように境内社への

参道かと思いましたが、

鳥居の神学を見て、

ここは独立した神社だと解ったのです。

神額には「船上神社 久保神社」

と刻まれています。

狭い参道を登っていくと

社殿が見えてきました。

案内板などはありませんが、

石碑が二つ並んでいます。

平成27年、今から3年半前、

この神社を修復工事した際、

お隣の高知縣護國神社の支援のもと

屋根の吹き替えなどを行い、

久保一族の繁栄を祈願する旨の

文言が書かれています。

この石碑のお陰で、

久保神社は、久保一族を祭っている

ことがわかりました。

そして、その右横の古い石碑にも

何やら昔の言葉が書かれています。

正直、僕には文語体で書かれた

昔の文章がなかなか読めず、

何とかしたいと思い、

ネットで、「船上神社 久保神社 高知県」

と検索すると、

素晴らしいサイトを発見したのです。

それは、

南国土佐へきてみいや」という名の

高知県の隅々まで、詳しく親切に

そしてマニアックに紹介されている

素晴らしいサイトでした。

そのサイトによると

この古い石碑は、

明治24年(1891)に催行された

戸次川(へつぎがわ)戦死者

三百年祭の時に建てられた記念碑でした。

Wikipediaによると戸次川の戦いとは、

天正14年(1587年)

島津家久率いる島津勢と

長宗我部元親・信親父子などが率いる

豊臣勢の間で行なわれた

(現在の大分市での)戦いで、

豊臣勢が敗退し、子の信親は

討ち死にし、その軍勢も700人ほどが

討ち死にしたそうです。

そして、「南国土佐へきてみいや」によると

船上神社の由来を要約すると

長宗我部元親の暗殺を企てた

千代丸という12歳の少年を

家来の久保内庄左衛門に

船上で殺させ、其の後難を恐れた

久保家などが楠で作った船べりを

御神体として御祭りしているそうです。

また、久保神社は、

「久保家先祖で、戸次川の戦で戦死した

久保駿河守貞吉の霊を祭っちょるようです」

と書かれています。

なるほど~!

高知県なのに大分県での

戦いが由来の神社に出逢うとは。

次回また大分市で戸次川の古戦場を

見なければ!!

 

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