出水海軍航空隊/第二航空隊正門

 

国民性

出水基地では学徒動員された

多くの中学生が掩体壕を作ったそうで、

中には作業中事故死した方もいます。

もちろん他の地方でも

学徒動員された場所で空襲により

命を落とされた人は

数えきれないほどいます・・・

恐らく彼らに国からの補償などは

なかったのでしょう・・・

日本人の国民性というのは、

お上のいう事に従順で、

「耐え忍ぶ」ことを美徳としています。

確かに耐えることや、

忍ぶことも大切だし、

それが糧になる場合だってあるでしょう。

ただ、盲目的に「右向け右!」では、

己の存在を否定する事になります。

だからこそ、

個人個人が主体性を持って

よく考えて行動し、

常に政治家の行動を

見極め続けることが肝要でしょう。

それが国を誤った方向に行かせない

唯一の方法なのですから・・・

二度と戦争を起こさないため、

平和を維持するためにも

歴史に学び、学徒動員や

特攻隊はじめ多くのご英霊の事を知り、

彼らが希求した日本の姿を

自分の心に落とし込み、

日々生活したいものだと改めて

感じています。

概要(パンフより)

まずはパンフレットから

概要を抜粋して行きます。

■真珠湾目指して、実戦の猛訓練

「1941(昭和16)年、

航空母艦「蒼龍」「飛龍」の飛行部隊は

出水航空隊に収容され、

真珠湾攻撃の水平爆撃と

雷撃隊の猛訓練がなされた。

雷撃隊は飛行場を離陸すると、

霧島上空に至り櫻島から

錦江湾に向け急降下雷撃の訓練をする。

これは錦江湾が

真珠湾の地形に似ていたからであった。

水平爆撃隊は

八代海の七尾島に向け攻撃する。

隊員たちは訓練の目的は知らされず、

月月火水木金金の日課で励み、

1件の事故も生じることはなかった。」

ここには、

水平爆撃と雷撃隊の猛訓練と

記されていますので、

出水は「九七式艦上攻撃機」の基地と

なっていたのでしょう。

こちらは半年前、

筑波航空隊記念館で撮った

鉛筆画の第一人者、

菅野泰紀氏の作品「蒼龍」です。

妻はこれを見たのを覚えているのか?

いや、

覚えていないでしょうね(笑)

■飛行訓練生(予科練)

「第一次世界大戦後、

航空機の需要が世界的に高まり、

欧米列強に遅れまいとした旧海軍が、

若いうちから基礎訓練を行なって

熟練の搭乗員を多く育てようと、

1930(昭和5)年から開始した

「海軍飛行予科練習生」がある。

ここを卒業すると「飛行訓練生」として

全国に散らばる練習基地で

基礎的な飛行訓練を行なった。

飛行訓練は操縦の安定した

93式中間練習機(赤トンボ)を使い

3〜4ヶ月(約300時間飛行)で

飛行機の基礎的な技術を身に付ける。

次は実戦機により更なる技術の上達と

戦闘技術を学び一人前の戦闘飛行士になる。

出水海軍航空隊では、

予科練を卒業した練習生のうち

操縦術の練習生だけが配属された。」

特攻隊として出撃した人は、

ただ「体当たり突入」の訓練ばかりで、

200時間飛行にも満たない場合も多く、

赤トンボだけで300時間も練習とは、

相当恵まれた時代の事でしょう。

ちなみに真珠湾攻撃の頃は、

飛行時間2.000時間以上の猛者も

かなりいたようですが、

その多くは開戦半年〜1年以内に

ご英霊となられています・・・

■実戦基地

「1944(昭和19)年の9月頃から

実戦基地として利用された。

出水は攻405・406飛行隊、

763航空隊(銀河隊)の基地となり、

零戦・紫電・銀河・一式陸攻が

フィリピン・台湾方面に向け出動し、

戦闘部隊の基地となった。

飛行訓練生は1945(昭和20)年

3月に朝鮮光州へ移動した。」

大戦末期、

練習する余裕は皆無だったのです・・

■特攻隊(特別攻撃隊)

「通常攻撃に対して、生還を考えず

爆弾を抱えて敵艦に体当たりする戦法。

第1航空司令官大西海軍中将の発案で、

1944(昭和19)年10月

レイテ沖海戦において

神風(しんぷう)特別攻撃敷島隊が

アメリカ艦に突入したのが最初である。

その後、約10カ月で

海軍だけでなく陸軍も特別攻撃を展開した。

「カミカゼ」は

アメリカ軍が恐れて付けた呼び名。

飛行機だけでなく

ベニヤ製特攻艇(震洋)・人間魚雷(回天)

・人間機雷(伏龍)もあった。

出水基地からは

1945(昭和20)年3月19日が

最初の出撃(銀河4機)で、

以後は銀河隊・御楯隊などで

200余名が戦死した。」

遺跡分布図。

まだ行けてない場所は

いくつもありますが、

このお陰でかなりの遺跡を

巡ることができました。

第二航空隊正門

遺跡巡りは、

第二航空隊正門からスタート。

まずは門横の石碑へ。

右から

■第二出水空会歌碑

「悠久○

国の安らぎ 願いつゝ

待ちわびし 碑に

集い語らむ」

※ ○は読めません(汗)

■第二出水海軍航空隊之碑

■第二出水海軍航空隊

「海軍航空機整備に関し教育訓練する

練習航空隊として

開隊三ヶ月間の教育訓練を受け

実戦部隊へ転出していた

(全隊員約1500名

内練習生1200名)

終戦後第二出水海軍航空隊舎を

第七高等学校造士館校舎として

昭和二十年十一月から

昭和二十二年九月まで利用した」

正門。

丸い川石を使った門は、

人吉の基地と同じ作りですね。

こちらが人吉基地のものですが、

似ていますよね。

この形式が、

海軍のスタンダードだったのかな?

この後は、

いよいよ妻が楽しみにしている(笑)

掩体壕巡りです。

(続く)

 

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