林喜重大尉慰霊碑/鹿児島県阿久根市

 

巡り合わせ

林喜重大尉(戦死後少佐)は、

大東亜戦争(太平洋戦争)末期、

本土防空を目的として編成された、

源田実大佐率いる三四三航空隊の

隊長の一人で、

昭和20年4月21日、

B29と交戦中、

乗機である紫電改が被弾し、

阿久根市の海に着水を試みるも

お亡くなりになっています。

浜辺に近かった事から

林喜重大尉のご遺体は

住民らにより陸地に運ばれて、

丁重に荼毘にふされ、

慰霊碑が建てられています。

今回の訪問は、

その慰霊碑と紫電改が沈んでいる

海岸での慰霊が目的でしたが、

これが驚くべきタイミングだったのです。

僕たちが行ったのが

令和8年3月31日の朝で、

旅から帰り、翌日のYouTubeの

ニュースで知ったのが、

長年の悲願であった

紫電改の引き揚げが決まり、

僕たちが参拝したのと同じ日、

3月31日の日中、

近くの「石舩(いわふね)神社で、

引き揚げの祈願祭が行われていた事です。

もちろん事前に

そんな事などは知るはずもなく、

僕たちは石舩神社にも参拝していたので、

この巡り合わせに

僕も妻も驚きかつ喜んだものです。

妻の心からの慰霊の念が、

大空の彼方にいる林大尉に

届いていたのかも知れません・・

参道

宿泊したホテルAZ鹿児島出水店から

車で約20分で目的地に到着です。

石舩神社前の駐車場?に車を置き、

神社向かって左横から奥へと向かいます。

なんだか飛行機の翼に見えてしまう、

カイヅカイブキの樹勢、

林大尉の魂が僕たちの訪問を

歓迎してくれているのでしょうか・・・

親切な案内。

バックネット横にも

大きな案内があります。

ここから本格的な参道へ。

地元の方々でしょうか、

参道は実に美しく保たれていますね。

桜の花も出迎えてくれました。

林喜重少佐(大尉)慰霊碑

そして参拝へ。

慰霊碑の周囲は、

ブロックで玉垣が設られていて、

大切にされている事が

ひしひしと伝わってきます・・

慰霊碑(右)と顕彰碑(左奥)。

「故林少佐戦死之地」と

刻まれた慰霊碑の前には

美しい生花が供えられ、

故人を偲ぶ方々のお気持ちに

有り難さを感じます・・・

そして、その下には、

どなたかの詩が刻まれています。

「松の梢よ 磯吹く風よ

お前は覺えているか

あの雲の彼方に

散っていった戦友のことを

心あるなら伝えておくれ

私の故郷鎌倉の海のよう

美しいこの折口の浜で

心ゆくまで語ろうではないか」

これは・・・

林大尉が実際に仰ってる体で

書かれていて、

目の前に林大尉がいるかのような、

そんな気持ちにもなります・・・

側面には「火葬之跡」の文字が・・

顕彰碑。

以下、抜粋します。

「太平洋戦争三年目の昭和十九年

戦局は日本にとって不利の様相を強め

米軍は日本本土を脅かし始めていた。

日本海軍は零戦に代わる

新鋭機紫電改の完成に合わせて

新しい航空隊を編成した。

その部隊の名は

㐧三四三海軍航空隊剣部隊である。

南方の前線から国内の各基地から

歴戦の精鋭が続々と松山基地に集結し

三つの紫電改戦闘機隊が編成された

所謂戦闘㐧四〇七(天誅組)

三〇一(新撰組)七○一(維新隊)飛行隊で

その年もおし迫った

十二月二十五日の事である。

三四三空が松山から鹿屋を経て

国分に布陣した直後の四月二十一日

早くも敵は超大型爆撃機B29を以て来襲、

この日の四○七飛行隊長林喜重大尉は

悲壮な決意を胸に秘めていた。

それは過ぐる日、喜界島上空での戦闘で

比島以来の部下達を失った事である。

「あの若い彼等を助ける事が

出来なかったのが慚愧に耐えない」と

人一倍部下想いの隊長の脳裏に

その日の事が浮かんだに違いない。

数機を堕し尚B29編隊の集中砲火を犯して

肉迫攻撃する阿修羅の様な

隊長の姿を見たのが最後であった。

自らも被弾して遂に此処折口の海に

二十五歳の短い生涯を

燃え尽くすかの様に散華された。

沖合に沈む紫電改から

地元有志の手によって遺体は収容され

手厚く荼毘に付され其の奮戦を称えて

此処に碑を建立された。

茲に謹んで林喜重隊長並びに

当日の空戦で終に還らなかった

戦闘㐧三○一飛行隊

清水俊信一等飛行兵曹をはじめ

散華された㐧四○七飛行隊英霊の

鎮魂を希う。

この場所は

「命を捨てて同胞を護らん」と

苛酷な任務を背負った

三四三空勇士の悲傷の地である。

春に先がけて大空に散った英霊が

憂国同胞愛の清明な心を留める

「聖なる地」を顕彰し、

共に悠久の平和を希う事こそ

次の世代に伝える此の地の人達の

郷土愛のあかしと思うからである。

昭和五十七年四月二十一日

林喜重少佐並びに

清水俊信上飛曹三十七回忌命日建之

元㐧三四三海軍航空

戦闘㐧四○七飛行隊生存隊員一同」

・・・

言葉も無い・・・

部下想いの林大尉、

どうか安らかにお眠りください・・・

紫電改が沈む海岸

慰霊碑参拝後は、

紫電改が沈む海岸へ。

慰霊碑前からスタート。

木々の中を海岸へ。

とにかく懇切丁寧な案内に

僕も妻も感動しっぱなしです。

ここにもあります。

海岸への通路。

まるで僕たちを「こっちだよ〜!」

なんて導くかのような

龍神様のような風体をした木があります。

もしや、

こちらにも林大尉の魂が

宿っているのかも?・・・

出口の案内。

紫電改の場所を求めて海岸へ。

ここの案内も完璧!

紫電改が沈む場所を

妻と二人して遥拝。

そして妻はさらに

海軍式敬礼で慰霊・・・

今は平和な海、

林大尉が命を賭けて守った日本、

大切にしていかなきゃですね・・・

帰路に着くときに

気づいたのがこちらの案内で、

「僕たちが訪問する

1ヶ月ちょっと前に植樹されていますが、

この日付が4月21日に

お亡くなりになった

林大尉の「月命日」である

2月21日なのです!

脇本小学校の先生と生徒たち、

林大尉のことを

知っていた気がします・・・

ここから再度林の中へ入り

石舩神社を目指します。

 

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