下城の大イチョウ(熊本県小国町)
点は線になりやがて面になる
旅は、一つの目的地に行くと
そこで、関連した場所を知る事が出来、
その繋がりが無限に広がって、
点と点は線になり、
やがて「面」のようになります。
○○神社を参拝すると
○○の大クスに出会ったり、
福井県を訪問すると
鹿児島県の事を知ったり・・・
また鹿児島で、高知を知ったり。
コンピュータが一つあれば場所に関係なく
旅も楽しめ、仕事もできる
「ユビキタス社会」と言われて
随分経ちますが、
映像や写真だけの世界と
実際に足を運んでみるのとでは、
全く違う世界が見えてきます。
空気感というのか、
現地ならではの匂いというのか、
ユビキタスでは得られないものでしょう。
下城の大イチョウへ
鍋ヶ滝の水のカーテンに
癒やされまくった次は、
巨木に癒やされに行きます(笑)
鍋ヶ滝から20分ほど走ると、
これまたのどかな光景が見えて来ます。
真ん中にくまモン、
両脇には、地元キャラ?
地方のゆる~い感じが大好きです(笑)
大イチョウ観覧者専用の駐車場。
「下城公孫樹(大イチョウ)・
下城滝の歴史」と書かれた案内板。
かなり色あせては来ていますが、
読んでみると僕たちが以前訪問した
幾つかの場所が、この大イチョウの歴史と
重なっているではありませんか!
案内を要約すると、
「醍醐天皇の孫、小松女院は、
清少納言の兄、清原正高と恋仲になったが、
許されない恋愛に正高は豊後国玖珠に
左遷させられ、それを追って、小松女院と
乳母真神と正高を探す旅に出られた。
小国に入ったのが天延三年(975年)、
ここで、近くの泉に女の命でもある鏡を沈め
正高との再会を祈られた。
この泉が現在、鏡ヶ池と呼ばれるものである。」
鏡ヶ池、5年ほど前に行った事があったな~!
ここで繋がるとは・・・。
その小松女院が
鏡を沈めたとされる池がこちらです。
鏡ヶ池。
そして、案内は続きます。
「そして、玖珠へと旅立たれたが、
ここ下城で乳母真神が亡くなった。
その墓の上に村人が植えたのが
この大イチョウと伝えられている」
続けて、
「一行は玖珠にたどり着くが、
そこで正高には既に妻子ある事を知り
絶望し、三ヶ月の滝に身を投げた・・
それを知った正高は亡骸を手厚く葬り
神社を建立し菩提を慰めていいる。
現在の滝神社である」
この中に書かれた三ヶ月の滝と
滝神社も2年ほど前に
訪問しているのですが、
機会を逸してしまい、未だに
ブログにはアップ出来ていません。
ブログに先駆けた(笑)、
その写真がこちらです。
小松女院が身を投げた三ヶ月の滝。
そして、滝の向こう側に見えるのが、
滝神社です。
滝神社。
小松女院が、
宗像三女神とともに祭られています。
滝神社の奥にある
小松女院奥津城(墓所)参道。
小松女院と次女たちの墓所。
2年前にここを訪れた時、
滝神社で、案内を読んでいたはずなのに、
小松女院の事をすっかり忘れていました(汗)
やはり「アウトプット」する事こそ、
老化防止?の特効薬かも知れません(笑)
関連はあるものの、大イチョウからは
長々と話がそれてしまいましたが、
ここからまた、下城の大イチョウに戻ります。
縦にも横にも広がる枝振りは見事。
逆方面からも撮影。
石製の案内。
エントランス。
ここから木の根本に向かいます。
石の古い墓標。
案内によると
小松女院の乳母真神の墓標とも
伝えられていると書かれています。
根本には別の墓標が見えます。
先程の案内で、最後の方に
書かれていた
「この大イチョウの樹冠下に、中世、
この地を治めた下城総介経賢の母妙栄の
五輪の塔が残っている」という部分の、
その五輪の塔ですね。
弔いの気持ちと、祖先を敬う
人々の心がイチョウに伝わり、
ここまで長生きし、
大きく育ったのに違いありません。
同じくお墓に植えられたとされる
熊本市にある寂心さんのクスや、
武士の切腹場所に育ち、
菅野美穂が抱きついて
堺雅人と結婚が決まったと言われる
熊本県高森町にある高森殿の杉も
同系統(笑)の巨木でしょう。
人も、植物も大切にされるか否かで、
育ち方は全く違って来るのですから・・・
五輪の塔に向かい参拝。
生命力溢れる根本。
大きさの比較・・・にはならないかな?
大イチョウよりも妻は相当手前に
立っているのですからね(笑)。
最後にツーショット。
たった一本の木にも
多くの歴史があることを
改めて僕たちに教えてくれた
下城の大イチョウに感謝です。