八幡堀(滋賀県近江八幡市)
田中吉政の遺したもの
戦国時代、
滋賀県出身の田中吉政は、
浅井長政~豊臣秀吉の家臣となり、
その後、多くの功績により
八幡山城主、豊臣秀次の
筆頭家老として、
八幡山城の城下町を整備し、
八幡堀を作っています。
その後、秀吉の小田原攻め後、
家康の関東移封により
(愛知県の)岡崎城主として、
岡崎城を近代化し、
主要道の鎌倉道を
城下に引き入れ、
江戸時代、有数の宿場町として
発展する元となった
岡崎二十七曲りと言われる道を整備、
田中堀と呼ばれる総堀や、
矢作川の堤防工事などを行い、
また、関ケ原の戦い後は、
九州、(福岡県の)筑後国主となり、
柳川城(柳河城)に入城し、
柳川の町でも大規模な掘割、
治水工事で、
「柳川の川下り」で有名な、
現在の町に整備しています。
単なる「歴史」ではなく、
その業績の多くが、現代まで残っていて、
現役で使われていたり、
主要な観光資源にもなっているのは、
凄いことだと思います・・・
田中家は、多くの外様大名同様、
吉政の息子の代で、
取り潰されてしまいましたが、
彼が遺した業績のお陰もあり、
3つの町が繁栄しているのを
吉政さんも喜んでいる事でしょう。
八幡堀散策
訪問前、
ネットで八幡堀の画像を見て、
どこか「柳川」に似た雰囲気を
感じていました。
実際に体験すると
益々似てる気になりました(笑)
案内板。
「現在地」から一旦八幡堀を渡り、
外観が気になる建物へ。
「白雲館」(観光案内所)
明治10年に建てられた
小学校の建物で、
地元の近江商人が、
子供の教育の充実をはかるため、
資金のほとんどが、
寄付で賄われたそうです。
そして、貴重なことに、
当時の小学生の姿が・・・
滋賀県名物、
「飛び出し坊や」(笑)
飛び出し坊や(右端)を露払いにして、
日牟禮八幡宮の元和二年
(1616)建立の
木造鳥居が建っています。
鳥居をくぐり
まずは橋の上から
八幡堀を俯瞰。
お~柳川だ~(笑)
福岡県では馴染み深いので、
やはりこの光景は
柳川に見えてしまいます。
この後、橋の下から
八幡堀の散策を開始。
川に浮かんだ観光船。
いい味だしていますな~!!
いきなり情緒溢れる光景に
遭遇できるとは、
僕たちの為だけに、
ここに来てくれたみたいですよ(笑)
川べりから撮影。
こちらの観光船も絵になります。
船橋。
いや~映えスポット満載ですよ、
八幡堀は!
川べりの散策はここまで。
Uターン。
船橋を渡り、向こう岸へ。
ここでツーショット。
小雨なので、傘を外して撮影・・・
でも左端に傘が見えてます(笑)
右側の通路へ。
先ほどの観光船。
ここで、
スクリューを見た妻が一言。
「なんか顔みたい!」
確かに!(笑)
ニッコリ笑って右手を挙げている
スクリュー君、
今日は休養日ですね。
そして、少し行くと、
何やら案内らしきものが・・・
「この先は足元も悪く
約300m先まで
階段がありませんので、
対岸の遊歩道での散策を
お薦めします。」
なるほど~!
案内に感謝しつつも
「行けるとこまで行け!」(笑)
とそのまま直進。
やはり対岸の景色も楽しまなきゃ。
う~ん、
この先は沼っぽい感じ・・・
ちょとヤバそう(汗)
ということで、
Uターンして、船橋まで戻り、
対岸の道を使い散策は完了です。