東首塚(岐阜県関ケ原町)

 

慰霊の場

関ヶ原の戦いにおいて、

戦死した人の数は、

両軍合わせ数千人とも言われ、

その慰霊の場として存在するのが、

東首塚、西首塚で、

僕たちはそのうちの一つ、

東首塚を訪問しました。

東首塚

東首塚は、

岐阜関ケ原古戦場記念館から

歩いて数分で行けるほどの好立地。

唐門。

案内では、昭和15年、

名古屋の山王権現社から移築されたと

書かれています。

唐門をくぐると目に入ると

中央に、スダジイの巨木、

右に小さなお堂、

左には五輪塔が見えています。

まずはお堂に参拝。

次に五輪塔へ。

「関ヶ原役陣没者各霊追善供養」

こんな文字が刻まれています。

供養堂に参拝。

こちらも唐門と同じく、

名古屋から移設しています。

本来の供養場所は、

このスダジイのようです。

参拝。

樹齢は400年ほどでしょうか、

だとすれば、関ケ原の戦い後、

供養の為に植えられたものかも

知れませんね。

案内を要約すると、

「昭和6年の官報に、

周囲9m、高さ1.5mの

円塚」とあるが、風化によるものなのか、

現在はその形を留めていない。

玉垣に囲まれそびえる

スダジイの古木が残るのみである。」

このように書かれています。

塚の象徴として今も残るスダジイ、

いつまでも長生きしてほしいものですね。

スダジイに向かって右側には、

「首級墳碑」という石碑があります。

案内。

「文化14(1817)年、

関ヶ原宿本陣の主を務める

古山平四郎は、

関ケ原の戦いの地が、

将来忘れ去られることを危惧し

首級墳碑を建設した」

このように書かれています。

令和の時代になっても

忘れるどころか、こうやって、

僕たちのように遠方からの

訪問者も沢山いますので、

古山平四郎さん、安心してくださいね!

松平忠吉 井伊直政陣跡

東首塚と並んでというか、

同じ敷地内にあるのが、

松平忠吉、井伊直政陣跡です。

スダジイの斜め前に立つ

紅葉したイチョウに癒やされながら

東首塚の端っこへ。

陣跡。

案内板を見て一番に目に入るのは、

家紋が徳川の葵紋とはデザインが少し違う、

「松平」の葵紋になっている事(笑)

この案内を超訳、加筆すれば、

「井伊直政はここから約200m東、

現在のJR関ヶ原駅付近に布陣、

初陣の家康の4男、松平忠吉と

その後見役だった井伊直政は、

東軍勝利が決まった後、

(島津の退き口」として有名な)

島津義弘らの中央突破の際、

猛追しながらも負傷、

二人はその傷が原因で、

数年後に亡くなった」

このように書かれています。

首塚には入らなかったものの

きっと多くの人が、

同じように傷が元で

亡くなっているのでしょう・・・。

戦争とは、いつの時代も

変わらないものです・・・。

 

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