平尾山荘(福岡市)令和8年5月
野村望東尼とのご縁
勤王の母と言われる
野村望東尼を深堀する契機となったのが、
昨年(令和7年)8月に訪問した
志摩歴史資料館で偶然出会った
「野村望東尼伝」です。
この展示に触発され、
僕たちはその後、
望東尼の福岡市吉塚のお墓や、
山口県防府市のお墓などを巡り、
11月には、
野村望東尼が高杉晋作を匿った
平尾山荘を初訪問しています。
そして今年1月、
息子から「結婚する」との連絡があり、
その相手というのが、
なんと平尾山荘のすぐ近くに
住んでいる方だったのです!
しかも息子と彼女が付き合いはじめたのが、
僕たちが望東尼さんと出会った
昨年の8月と聞いた時はビックリで、
もやこれは野村望東尼さんが
結んでくださったご縁としか
考えられなくなってしまいました(笑)
そして今年2月、
初めて彼女と会った時、
平尾山荘の話をした途端、
彼女の口から
「野村望東尼の平尾山荘ですね」
こんな言葉が発せられたのです!
この世の中で、
「のむらぼうとうに」の名を知る人は、
そんなに多くはないでしょう。
まさかこんなめでたい形で、
望東尼さんが僕たちの人生に
関わってくるなんて、
思いもしませんでした。
ということで、
今回は息子夫婦とランチの後、
3月にリニューアルされた平尾山荘へ
表敬訪問する事としたのです。
インドカレー・ジョティ
時間に余裕があり、
一つ前のバス停で降りた事で、
偶然参拝できた宇賀神社から
息子夫婦の自宅へ。

橋の欄干に昭和九年とあり、
今から92年前の橋が、
今も現役とは凄いです。
「昭和9年は、
お義母さんの誕生した年やね!」
僕が妻に言うと、
妻は、「え、そうなん?」
「よく知ってるね!」
これにはもう笑うしかありません。
何も気にしないで生きている妻の
真骨頂を見せて貰え、
大いに元気づけられました(笑)

息子夫婦と合流後のランチは
平尾のジョティです。

チーズナン、
めっちゃボリュームあって、
僕は満腹、妻は食べ切れず・・
本格的なカレーは、
めちゃウマだったので、
次回は「普通のナン」にする事で、
二人の意見は一致(笑)
と言うことで、
リピート決定のジョティでした!
平尾山荘
平尾山荘を初訪問したのは、
昨年、令和7年11月9日。
翌日の11月10日から、
令和8年3月末までの間、
草庵の茅葺き屋根の改修工事で、
立入出来なくなる前日でした。
もちろんそんな情報も知らず
訪問したので、
ここでも望東尼さんとのご縁、
大いにあったと言えるでしょう!

チーズナンで満腹の二人は、
腹ごなしも兼ねて(笑)
徒歩で平尾山荘を目指します。

到着。
公園に入る前に、
電柱を確認。

「オトナノ カクレガ・・・」
これは素晴らしいですね!
「カクレガ」と書いて「平尾山荘」と読む。
これ考えた人、グッジョブ!
以下、説明文です。
「望東尼は勤王の思いが深く、
安政五(1858)年に
京都の勤王僧月照が
幕府に追われて筑前に来た時、
彼を山荘に匿い、
また文久元(1861)年の春、
平野二郎が帰国した時も
しばらく山荘に匿った。
文久元(1861)年、
望東尼は上京し堂上名家と交わり、
寺田屋の変など尊攘運動を目の当たりにし、
日本の行く末を心から憂うるようになった。
翌年、勤王の志を堅くして帰京。」
次に高杉晋作にまつわる電柱へ。

「まごころをつくしてきぬは
國の為たちかへるべき衣手にせよ」
「望東尼の手厚いもてなしを受けて、
晋作は十日余りの滞在の後、
再起(功山寺挙兵)をかけて山荘を辞した。
旅立の朝、望東尼は手縫いの着物に、
この一首を添えて晋作にわたした。」
望東尼さんの歌、
僕にも理解できます(笑)

この歌は歌碑にもなっていて、
歌を贈る望東尼と
着物を羽織った高杉晋作を象った
レリーフもあります。
望東尼の晋作に対する期待と友情、
そして、その奥には、
愛情があったのかとも感じます・・・

「臨別賦贈望東君
自愧知君容我狂 山荘留我更多情
浮沈十年杞憂志 不若閑雲野鶴清」
「晋作は、深く望東尼の厚意に謝して、
直に着物の袖を通し、
贈られた歌を繰り返し朗吟した。
そしておもむろに懐紙を出して、
別離の一節句を賦して返した。」
漢詩は分かりませんが、
以下、単語だけをネットで調べて、
僕なりの超訳です。
当たらずとも遠からず位の
意味はあるのかと・・・(汗)
「望東尼さんとの別れに臨んで
あなたは私の(吉田松陰先生直伝である)
トチ狂ったような行動を
快く受け入れてくれてくれました。
本当にありがとう!
そして、
この山荘に私を匿っていただき、
めっちゃ感謝しています。
いい時も悪い時もありますが、
尊王の志を遂げるに当たっての杞憂など、
大空に閑かにたなびく雲や、
野に飛ぶ鶴に比べれば、
大した事じゃ〜ありません。
(望東尼さんに頂いた着物を纏い、
必ずやり遂げますよ!)」
これでどうでしょうか(笑)

ちなみに下関の東行庵に建つ
この備前焼の高杉晋作像は、
望東尼さんから贈られた
着物を羽織っています。
この着物が功山寺挙兵の時、
晋作さんの精神的支柱となったのは、
間違いないでしょう!

平尾山荘の案内。

望東尼さんの胸像にご挨拶。

ご縁をいただき、
本当にありがとう!
幕府側の妻も喜んでいます(笑)

草庵へ。

お〜綺麗になってる!

真新しい茅葺、素晴らしい!

正面から。

こちらは昨年11月9日の
葺き替え前の写真です。
苔むした感じもいいですが、
やはり葺き替えると
男前が上がりますね!
いや、
望東尼さんが住んでいたから
女前かな?(笑)

斜め右から。

縁側に座る妻。

上空に何かを発見!

飛行機とのツーショット成功!

次に資料展示室を見学。

そして僕たちのツーショットで〆。