2021/09/12
廣峯神社(兵庫県姫路市)前編
撮りすぎ・・・
神仏習合時代、
牛頭天王を祭る神社は、
明治の神仏分離令で、
その多くは、
素戔嗚尊がご祭神となりました。
この廣峯神社もその一つで、
全国にある牛頭天王
(今は素戔嗚尊)をご祭神とする
神社の総本宮だそうです。
そんな神社なので、
見所は満載。
写真を撮りすぎてしまいました(汗)
参道
車で山を登っていくと
神社まで歩いて10分ほどの所に、
広い駐車場があります。
一の鳥居(多分)からスタート。
山道っぽい参道。
随神門下に到着。
この石段の左右には、
いくつかの古い石造物があり、
その1つ目が、手水鉢です。
美しい水を湛える手水鉢は、
寛政四年(1792)
大工・伊右衛門の寄進です。
宝篋印塔。
こちらは国指定重要文化財で、
案内によると
「高さ224cm、
複弁の反花(かえりばな)を刻んだ
基壇の上に置かれ、基礎の上端は
二段式で各面に輪郭付き
格狭間(こうざま)が彫られている。
塔身の四面には線刻の月輪内に
胎蔵界四仏の種子を刻んでいる。
笠は二段、上六段で
隅飾り突起はほぼ垂直で、
内に二孤の輪部をまいている。
無銘であるが様式上から
室町時代初期の作品と考えられている。
この宝篋印塔は廣峯神社の背後、
「吉備ツ様」と称している地に
埋没していたものを現在地に移した。」
このように書かれています。
吉備ツ様とは、
この神社の創建者である
吉備真備のことなのでしょう。
宝篋印塔の手前、参道脇に建つ
文化十一年(1814)の常夜燈。
左側。
天辺の宝珠にあたる部分が、
あまり見たことない
特異な形をしています。
随神門。
案内を抜粋すると、
「大棟鬼瓦の箆書銘に
元禄十年(1697)とあり
建築様式技法上からも
この時代の建物である。」
このように書かれています。
屋根の下には阿吽の龍が配置。
こちらは阿形ですね。
吽形。
拝殿側から撮影。
振り返って拝殿へ。
案内によると
寛永三年(1626)姫路城主、
本多忠政が再建したと書かれています。
忠政さんは、徳川四天王の一人、
本多忠勝の息子さんですね。
動画でも拝殿を撮影。
セミの鳴き声が夏の雰囲気を
醸し出してくれます(笑)
神仏習合時代からの御祭神は
牛頭天王(素戔嗚尊)です。
拝殿内の空間。
参拝場所は三つに分かれています。
「正殿」
御祭神は、素戔嗚尊と
その子、五十猛尊。
「右殿」
御祭神は素戔嗚尊の子供達を中心に
数多くの神様がいらっしゃいます。
「左殿」
御祭神は素戔嗚尊の后、
奇稲田媛命と、その両親である
足摩乳命(あしなずちのみこと)、
手摩乳命(てなずちのみこと)。
左殿向かって右側には、
享保二年(1717)作の神輿と
木の馬が置かれています。
「兵庫お出かけプラス」という
サイトによると、
馬の寄贈者が
「宇垣一成」さんと確定したのは、
3年前のことで、この木札が
神社の倉庫から出てきたからだそうです。
参拝後、拝殿左側から本殿へ。
隣の官兵衛神社から撮影。
本殿と拝殿の間は吹き抜けです。
檜皮葺の本殿。
本殿裏正面。
圧倒される大きさですね!
案内を抜粋すると、
「本殿床下には平安時代初期の
一間社流造社殿の
掘立方柱の遺構がある。
現本殿は、
文安元年(1444)の再建で、
正面幅が神社本殿建築として
我が国最大級の規模である。」
「宮殿の間の横に本地仏を安置する
神仏混交の祭祀の形を
残していることも注目されるが、
背面の各間にある九穴神の飾り穴は
後戸信仰と類似しており
民間信仰のあり方を考える上でも
注目すべきものである。」
案内に書かれた「穴」の参拝方法。
ここから上って、自分の九星の穴に、
願い事を投げ入れ、
参拝するというものです。
僕たちは、面倒くさがりなので、
やっていません(汗)
神社大好きなのに、
パワスポはスルーするタイプなんですね(笑)
(続く)