一ツ木神社(寶満宮)(福岡県朝倉市)

 

延命地蔵菩薩を訪ねて

第二次世界大戦末期、

太刀洗飛行場の空襲において、

多くの児童が、

頓田(とんた)の森という

避難先で亡くなった事、

そして、

その子供達の供養の為に建てられた

延命地蔵菩薩の事を

大刀洗平和記念館で知りました。

僕たちは記念館を見たあと、

頓田の森に行き、散策をしていると

そこでも延命地蔵菩薩が

紹介されていました。

「やはりここにも行くしか無い」

そう思った僕たちは、

一ツ木神社の境内にある

延命地蔵菩薩を目指したのです。

神社境内へ

明治初期に神仏分離があったとは言え、

やはり日本は神も仏も

仲良く暮らしている国ですから、

神社の境内に仏像があっても

何の違和感もなく、

これが一般的な日本人の感覚だと思います。

ここへ来た目的は

もちろん延命地蔵菩薩に

お参りする事ですが、

まずは、神社の神様へご挨拶です。

境内へ。

手水鉢。

神額には「寶満宮」の文字。

樹木の手入れが行き届いて、

素晴らしい景観をほこる拝殿。

参拝。

平成15年に再建された御社殿。

本殿左側の境内社。

お~龍神様ではないですか!

この日は、朝からずっと

龍神様にご縁がある一日でした。

本殿右側の境内社、「大神宮」。

主祭神の天照大神他、

二柱の配神が祭られています。

本殿右奥のお地蔵様。

延命地蔵菩薩

神様たちにご挨拶を完了し

延命地蔵菩薩へと足を運びます。

拝殿の右前に建つ延命地蔵菩薩。

合掌。

優しいお顔をされています・・・

一ツ木延命地蔵菩薩の由来。

超訳すると

「昭和20年3月27日、

終業式を終えた一ツ木地区の児童たちが、

下校途中、B29の爆撃が始まり、

急遽退避した頓田の森に爆弾が落とされ、

多くが命を失った。

供養と、平和への思いをこめ、

その年の11月20日、

この延命地蔵菩薩を建立した」

物資も何も無い、終戦直後に、

建てられている事に、

遺族の方々の思いが、

いかに強かったかが伺い知れます・・・。

現代の日本では、

亡くなった子供達を含め、

多くの先人達のお陰で、

平和な日々を送っていますが、

今も世界中で「頓田の森」と変わらない

悲劇は続いています・・・

何とかならないものか・・・。

頓田の森には、

延命地蔵菩薩の案内がありましたが、

こちらには、逆に

頓田の森の案内があります。

車で行くと大回りですが、

徒歩ならば意外と

近いのがわかりますね。

今日の注目

石に囲まれた神額に注目しました。

昔の鳥居にあった神額でしょう。

傷みがあっても、

こうして大切に保存されているのが、

ありがたい限りです。

 

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