厳島神社(兵庫県洲本市)
徳島だった淡路島
淡路島が兵庫県になったのは、
明治維新後の事で、
それまでは、徳島藩の領地でした。
何故、兵庫になったんだろうと思いつつ、
調べもせずに年月は過ぎていましたが、
厳島神社に建つこちらの石碑で、
兵庫県になった経緯を知ったのです。
「稲基神社」(いなもとじんじゃ)の碑。
徳島藩、蜂須賀氏の
筆頭家老で洲本城主だった、
稲田氏の守護神です。
丸に矢筈(やはず)の
稲田氏の家紋が陽刻されています。
明治三年、
庚午事変(稲田騒動)と言われる
藩主、蜂須賀氏との内紛が起き、
明治政府は藩主側の首謀者達を
切腹や遠島などの重罰に処し、
稲田氏側も北海道に
領地を与えるとの名目で、
開拓を命じられ、北海道への移住を
余儀なくされ、淡路から去っています。
その時、稲基神社も洲本から
北海道の静内に移されたのですが、
1970年代になって、
庚午事変を題材とした
船山馨の小説「お登勢」が、
テレビドラマ化され、
淡路と静内が舞台となった事が
きっかけとなったのか、
1976年、厳島神社内に、
この石碑が建てられています。
淡路島が兵庫県になった理由、
それは・・・
「喧嘩両成敗」で決定!(笑)
参道
厳島神社は社頭の広い部分が、
駐車場となっています。
置いて良いと言われても
やはり参道の真ん中は
正中(神様の通る道)、
少しずらして停めました(笑)
阿形の狛犬。
吽形。
案内。
御祭神は、
淡路島弁財天とも言われ、
芸能の神様でもある
宗像三女神の一柱、市杵島姫命。
最後に、
「社殿の裏手は
足利将軍義植(よしたね)の
亡命旧居
「黒木御殿跡」と言われている。」
と書かれています。
Wikipediaによると
10代足利義植さん、
上立神岩で有名な、
沼島にも潜伏していたそうです。
手水舎。
竹筒から水が自動で出るタイプ。
生花に癒やされる~!
拝殿へ。
参道左側の神楽殿と社務所。
参道右側には休憩所があり、
年配の女性が自転車を停め、
ひと休みされていました。
参拝前なのに、
神社さんの親切なおもてなしに、
ほっこりしてしまいます。
御社殿
綺麗に掃き清められた境内は、
歩いているだけでも
浄化される気分です。
拝殿。
絵馬も僕たち好み。
優しいタッチが素敵です。
参拝。
振り返って参道を撮影。
本殿。
この裏側に義植さん、
隠れ住んでいたのか・・・
達筆な御朱印!
拝殿前にてツーショット完了。
境内社・石碑
境内社や石碑は、
神社の入口付近に多く
建っています。
「鈴木重胤歌碑」
「まつ杉は まだほの闇き
木の間より
曙いそぐ山桜かな」
神社検定のテキストで
知った鈴木重胤さんですが、
淡路島の出身だったのですね。
Wikipediaによると
「鈴木は古伝に記される
宗像三神と八幡信仰に於けるヒメ神が
同一神である事を重視し、
廃れつつあった各地の宗像信仰を
再興する運動を行っている。
鈴木の働きかけで過去に廃絶された
宗像信仰を復興した神社は数多く、
奈良県桜井市の
宗像神社はその代表ともいえる。」
このように書かれていますので、
宗像信仰の再興に
貢献したという意味でも、
市杵島姫命を主祭神とする
この神社にはふさわしい石碑でしょう。
荒神社。
「洲本八狸 武左衛門」
案内を書き出すと、
「毎日、夜ふけに見廻りに出て
戸締まりの悪い家があると
家の外から鍵をかけまわったそうです。」
このようになります。
洲本城本丸に鎮座する
「芝右衛門大明神」の
芝右衛門狸と
関連するものでしょうか?
松尾芭蕉句碑。
「雲折々人を休むる月見哉(かな)」
天保十四年(1843)
芭蕉150回忌に建てられています。
稲荷大明神。
冒頭に書いた「稲基神社」の碑。
お登勢の碑。
今日の景色
厳島神社の社殿から
視線をあげると、
こんな景色が見えます。
昭和3年に造られた
洲本城のミニ天守。
いい眺めだ~(笑)