石城神社(山口県光市)
極狭林道の先に・・
過去、香川県の高屋神社、
大分県の尺間神社など、
極狭の林道の先にある神社は、
手に汗握って運転した見返りに
「絶景」というご褒美が貰えました(笑)
今回の石城(いわき)神社も極細林道、
当然こんなご褒美が・・・
瀬戸内海の多島美。
しかし、
今回の目的は、景色よりも
室町時代に建てられた
国指定重要文化財、
石城神社の本殿です。
参道
参道の起点には随身門があります。
現在も建立当時の
茅葺屋根のまま残る随身門。
江戸時代までは神仏習合で、
神護寺の仁王門として建てられ、
幕末には石城山を本拠とした、
第二奇兵隊の衛兵所として
使われていました。
森の中の参道。
手水鉢の清浄な水には、
ホントに癒やされます。
こんな山奥なのに、
手入れが行き届いているなんて、
素晴らしいではありませんか!
御社殿へ
参道の終点を右に折れると
一の鳥居が見えてきます。
境内へ。
個性的なお顔の狛犬。
江戸時代のものかな?
吽形。
木の鳥居、いいですね~。
文政六年(1823)寄進の灯籠。
左側の灯籠。
そして、いきなり
御社殿の全体像が見えてきます。
右から拝殿、幣殿、本殿。
神社の案内とパンフレットを
要約、加筆すると
「石城神社は延喜式内社で、
由緒ある神社である。
敏達天皇三年(574)
吉備屯倉の津史(つのふひと)が
当地に来て、「石城宮」の勅額を
賜ったのが本神社の始まりである。
本殿は、文明元年(1469)
大内政弘が再建。
安政四年(1857)八月には、
毛利敬親が、拝殿と山門を再建した。」
このようになります。
山口市常栄寺の
雪舟庭を作った大内政弘、
幕末、長州藩主として、
吉田松陰などを見出し、
二度の幕長戦争を乗り越え、
明治維新への道を開いた毛利敬親、
山口県では至るところで、
歴史に残る名前を目にしますね。
まずは、拝殿で参拝へ。
前面の距離が無いので、
拝殿正面から撮影が出来ません。
柵を乗り越えて
撮る気力がなかったので(笑)、
横からの撮影のみ。
参拝。
神額は東郷平八郎元帥の謹書。
東郷さんの謹書、
結構多くの神社や
お城などの石碑で見かけますね。
そして、本殿へ。
こけら葺きの屋根を持つ本殿。
本殿斜め後ろから。
動画でも撮影。
こちらは境内社の須賀社。
最後はいつもの写真で(笑)
今日の鬼紋
石城神社の屋根の
鬼紋(鬼瓦の紋)は
本殿と拝殿で違います。
室町時代、
大内政弘さんが建てた本殿は水巴紋。
大内菱ではありませんね。
毛利敬親さんの拝殿は、
毛利氏の家紋、一文字三星。