伊豆山神社(静岡県熱海市)前編

 

出会いを導いたのは・・・

今から10年ほど前、

Facebookで知り合った

神社に詳しい方に、

伊豆山神社のことを教えて貰って以来、

ずっとここが気になっていました。

そして、

今回、頼朝の足跡を辿る旅で、

ようやく念願が叶う事になりました。

但しこれは、妻の一声、

「頼朝が隠れた、しとどのいわやに行きたい!」

との要望があったからこその出会い。

結局、伊豆山神社との出会いを

導いてくれたのは、

妻だというお話でした(笑)

837段の参道

伊豆山神社を

麓の起点から歩いて参拝すると、

全部で837段もの階段があります。

こちらは本殿近くに建つ案内。

(ピンぼけ写真ですが・・汗)

この案内、

作った方々の

「伊豆山神社愛」がダイレクトに伝わり、

この一つだけとっても、

ここに参拝出来たことが嬉しくなります。

僕たちは、起点ではなく、

真ん中よりも上、

「市道648段」あたりに車を置き、

そこから石段を登りました。

(起点から登る時間と体力が無かったので)

僕たちが登りはじめた場所の案内。

案内右側の

「むかしの伊豆山神社のお話」を

書き出すと以下になります。

「■頼朝と伊豆権現(伊豆山神社)

永歴元年(1160)より

治承四年(1180)の

二十年間、平家の手により

伊豆国に配流の身になっていた源頼朝は、

源家再興を伊豆山権現に祈願しました。

その後願いを果たし鎌倉幕府を開き

征夷大将軍となった頼朝は

伊豆権現を崇敬し

箱根権現とともに二所と称えて

幕府最高の崇敬社である関東鎮護として

大きな権威を与えました。

鎌倉・室町時代には、広大な社領を有して

経済的に豊かであった伊豆権現は

当時の僧侶や修験者が大勢集まり、

最盛期には六十四棟もの

僧坊・修験坊があり、

三千八百名の僧兵が滞在し

伊豆権現を守っていたと伝えられています。

■豊臣秀吉の小田原攻めと

伊豆権現全山焼き討ち

戦国時代末期、

焼き討ちと言えば織田信長による

比叡山延暦寺の焼き討ちが有名ですが、

伊豆権現も天正十八年(1590)

豊臣秀吉による小田原攻めの際、

小田原の北条氏に味方したために

焼き討ちに合い、

大勢の僧兵が命を落とすと共に

伊豆山全山が三日三晩

燃え続けたといわれています。

■徳川家康と伊豆権現の復興

焼き討ちにあった伊豆権現を徳川家康は、

文禄三年(1594)から

慶長十七年(1612)にかけて、

高野山の僧快運を招き入れ

伊豆山別当職に任命し、

般若院の院号を与え復興にあたらせました。

これにより江戸時代の伊豆山は、

十二の僧坊と七つの修験坊を有するなど

繁栄を取り戻すことができました。

また復興により走湯山般若院は、

真言宗伊豆派(当時)の聖地として

関東一円に大きな勢力を誇っていたと

伝えられています。」

家康さん、

鎌倉時代、北条泰時が制定した、

御成敗式目の第一条、

「神社を大切にすること」を

ちゃ~んと実践していますね(笑)

こちらは、

宝暦八年(1758)に描かれた

伊豆山神社周辺の拡大図で、

下が、現在のものです。

昔の面影だらけですね!(笑)

もちろん僧坊などは神仏分離で

無くなっていますが、

参道の石段はそのままの形ですし、

次回は石段全部を

歩いてみたい気分になります。

(意気込みだけか?笑)

ここが僕たちのスタート地点。

手描きの案内図、

心がこもって素敵です。

左は北条政子が

自分の髪の毛を使って作った

法華曼荼羅の展示の案内ですが、

すでに展示期間は過ぎていますので、

時間が無かった僕には、

丁度良い情報です(笑)

駐車場。

駐車場に立つ案内。

初見参の人には

実に優しい案内ですね!

僕たちは、

石段途中の境内社を巡るので、

ここに停めたままで参拝開始です。

二の鳥居(多分)

三の鳥居(多分)

少し行くと右側にお社が見えてきます。

「祖霊舎」

案内を抜粋すると

「祖霊舎とは、先祖の御霊

(みたま)をまつる社です。

この社は、古来、

関八州総鎮護と称えられた

伊豆大権現(伊豆山神社)に仕えた

氏人の祖霊をお祀りしています。」

このようになります。

参拝。

さらに石段を登ると、

右側に見えてくるのが、

こちらのお社です。

案内を抜粋すると

「末社 役の小角社

(足立権現社・あしだてさん)

御祭神 えん小角おずぬ(神変大菩薩)

御由緒

役の優婆塞うばそくともいう、

舒明天皇六年(643)

大和国葛木上郡に生まれ

神仏両道に渉り行を積み

潔く学を究め 奇異の験術を証す。

日本国中の名山・高山を開き

修験道の祖とも言われる」

このようになります。

役の小角さん、

ホントに各地でお見かけします(笑)

それだけ、

大きな功績を残し、崇敬されている

偉い神様という事なんでしょう。

お社の中には等身大ほどの

役の小角さんの

木像が安置されています。

お顔アップ。

役の小角さんのご尊顔を拝した後、

さらに石段を登ると

左側に見えてくるのが、

結明神社むすびみょうじんしゃです。

伊豆山神社の境内社は、

一つ一つが綺麗に美化され、

親切な案内も完備されています。

こんなにおもてなしを頂き、

有り難い限りです。

結明神社の案内を要約すると

以下になります。

「末社 結 明神社

御祭神 (日精・月精)

御由緒

走湯山縁起によれば景行天皇の三十一年、

久地良山(日金山)に大杉有り、

その中より一女一男が出生した。

一女を日精と号し、

一男を月精と号した。

後に二人は夫婦となり日金山に仕えて

「伊豆権現氏人之祖」となったと云う。

お手水。

参拝。

手水舎

石段を登りきると拝殿が見えてきます。

まずは左側の手水舎へ。

物置台も完備されています。

手水鉢の案内を書き出すと、

以下になります。

赤白二龍せきびゃくにりゅうの由来

伊豆山神社の縁起

「走湯山縁起」(鎌倉期に成立)に拠れば、

当 伊豆山の地底に

赤白二龍和合して臥す。

其の尾を箱根の湖水(芦ノ湖)に漬け、

その頭は日金嶺(伊豆山)地底に在り、

温泉の沸く所は此の龍の

両目二耳並びに鼻穴口中なり(走り湯)

二龍精気を吐き、赤白海水に交わる、

二色浦(熱海錦が浦の名の由来)は

此を謂うなり。

赤白二龍は御祭神

天忍穂耳尊あめのおしほみみのみことの随神であり、

赤は火を表し白は水を表す。

火と水の力でお湯(温泉)を生み出す、

温泉の守護神であります。」

な~るほど!

だから熱海温泉なですね。

赤白二龍さんのアップ。

この龍神様たちの尻尾は、

見えていません・・・

きっと芦ノ湖にあるのでしょう!

(後編に続く)

 

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