常栄寺 雪舟庭(山口市)
大内政弘
常栄寺・雪舟庭の案内によると
「文明年間(1469~1486)
大内政弘が雪舟に依頼して
築造したといわれる
池泉廻遊式庭園です。」
このように書かれています。
大内政弘をWikipediaで調べると
凌雲寺跡にお墓がある
大内義興のお父さんで、
有名な応仁の乱でも活躍した人でした。
そんな戦もたくさんやったであろう最中、
政弘、義興、義隆と三代の大内氏は、
多くの文化を今に残しているのが、
凄いところです。
戦いに強いだけでなく、
文化人としての教養もあり、
なおかつ相当にお金儲けもうまくないと
こんな芸当は出来ないでしょうから(笑)
常栄寺へ
通りがかった山口縣護國神社に参拝後、
数分で常栄寺に到着。
駐車場の端で見つけたのが、
こちらのお地蔵様です。
まずはお地蔵様にご挨拶。
お地蔵様の右側には、
明和二年(1765年)建立の
「三界万霊」と刻まれた石碑があります。
何だろう?と調べてみると
三界(欲界、色界、無色界)の霊を
宿らせるもので、
万霊の供養や、無縁仏の供養を
するためのものでもあるそうです。
雪舟胸像。
案内を超訳すると、
「現在の岡山県総社市出身で、
大内氏の招きで山口へ。
そして2年間中国(明)留学の後、
また山口の雲谷庵を拠点として、
各地で活躍、
常栄寺の庭園も雪舟作とされている」
こんな感じです。
大内氏の文化人を見出す目が、
素晴らしかったというわけでしょう。
案内。
寺門。
前庭「無陰」(むいん)。
平成24年に作庭されたそうです。
地蔵堂。
地蔵菩薩にご挨拶。
前庭から撮影した本堂と鐘楼門。
庭園の案内。
鐘楼門横の建物。
鐘楼門。
中へ。
本堂に上がる時、
「ご注意 段差があります」
そう書かれているにも関わらず、
足をひっかけて痛~い思いをしたのは
よく足をひっかける妻ではなく僕です(笑)
参拝。
巨大な木魚と妻。
郡山城下図。
「現在の広島県安芸(あき)高田市
吉田にあった毛利氏の居城「郡山城」の
城下図のレプリカです。
城内に、常栄寺や妙寿寺が書かれています。
探してみてください。
19世紀頃に書かれたものですが
作者は不詳です。」(案内文)。
毛利氏が広島城に移る前までの本拠地が、
ここで見られるなんて思ってもみなかった事。
郡山城、行きたくなりました(笑)
南溟庭(なんめいてい)
内部を散策した後、
本堂の前(雪舟庭と反対側)の庭を
見ようと縁側に行くと、
一羽のサギちゃんが上空に飛来!
一瞬でしたが撮影成功(笑)
実はこのサギちゃん、
裏側の雪舟庭を見ていた時にも
現れたのです。
やはり
妻のおばあちゃんの化身でしょう・・・
庭園の案内。
「雪舟より良い庭を
作ってもらっては困る。
恥をかくような
下手な庭を作ってもらいたい」
こう作者に依頼して固辞され、
「上手に下手な庭を作ってもらいたい」
と重ねて依頼して
出来たと書かれています。
依頼の仕方にはかなり驚きますが、
引き受けた人もまた偉いですよ!
やはり和尚さんも雪舟に気を遣って
大変だったんだな~(笑)
「上手に下手な庭」(笑)
雪舟さん、安堵したかな?
天皇の間。
雪舟庭
妻は初めての雪舟庭、
僕は中学2年の修学旅行以来、
とはいえ、
半世紀近く前の記憶は全く無く、
妻と同様、完璧な初見参者でした(笑)
本堂から。
左回りに一周してみます。
本堂の反対側から。
途中お墓らしきものを発見し
中に入ってみました。
「大内政弘公母君
妙喜寺殿の墓」。
常栄寺のサイトには、
「康正元年(1455)、
政弘の母、
妙喜寺殿宗岡妙正大姉の
菩提を弔(とむら)うために
別邸を寺とし
「妙喜寺(みょうきじ)」としました。」
こう書かれていますので、
ここにお墓があるのは必然でしょう・・。
「画聖雪舟 筆塚」。
雪舟の筆が埋められているのかな?
モリアオガエルの生息地。
毘沙門天入口。
ここから少し登ってみましたが、
先は遠いようなので、
体力消耗が激しい僕たちは、
思わず引き返しました(汗)
茅葺きの東屋、聴松軒。
本堂前に戻って、
庭園を背景にツーショット。
室町(雪舟庭)、昭和(南溟庭)
そして平成(前庭)と贅沢にも
3つの次代の庭を見られる常栄寺、
なかなか庭園の「良さ」は
わからないものの(汗)
大内文化に触れられた事で大満足。
これで、常栄寺訪問は完了です。