轟の滝(佐賀県嬉野市)

 

意外なものを発見

轟の滝周辺のマップを見ると、

意外なものが存在する事に気付きます。

「不動山ぶらりマップ」

この中で一番多いのが、

「キリシタンゆかりの地」。

多いというよりも、殆どなのです!

しかも地名の由来にまで

なっているのです。

一つあげると、

「野添史跡

キリシタン信者が迫害から逃れるために

幸助谷(子捨谷)に残したわが子を

振り返りながら覗き見たことから

「のぞく」が転じて「のぞえ」に

なったと言われています。」

このように書かれています。

嬉野は長崎に近かったから

キリシタンも多くいたのでしょうか・・・

轟の滝公園

滝の周辺は、「轟の滝公園」として、

駐車場はじめ、遊歩道や橋などが、

綺麗に整備されているので、

散策は超楽ちん(笑)

駐車場近くの案内板、「轟の滝のおこり」

案内を抜粋すると

「轟の滝は、

約二千五百万年前頃から始まった

火山活動によってできたものである。

火山活動によって

不動山の虚空蔵山を形成したり、

堆積岩を貫いた溶岩流により

段差を生じたり、

川の侵食により

軟らかい堆積岩は削り取られたりして

現在のような

滝の景観をつくりだしたものである。

滝の高さ十一メートル、

滝壺の面積二千五百平方メートル、

平坦部にできた珍しい滝で、

滝をつくる岩は溶岩が冷えたもので、

その上流にも広く露出している。

滝下の川底には二千五百万年前の

堆積岩が広く分布している。

(後略)」

このようになります。

ここからは、既に滝が見えて、

気分は、「はやる」ばかり(笑)

まずは、赤い橋を目指します。

周囲が大人しい色合いの景色なので、

橋の赤色がアクセントになって映えますね。

「滝見橋」と命名されていますので、

やはりこの橋から

滝を見るしかないでしょう。

お~見えた!

なかなか素敵な景色だ~!

手前は宮崎県青島の

鬼の洗濯板みたいですね。

橋の横にある案内板、

「轟の滝と縫ノ池に今もなお残る恋物語」

案内を書き出すと、

「轟の滝は、ここから約15キロ離れた

佐賀県白石町にある縫ノ池と、

地下水で繋がっていると言われています。

轟の滝の龍神様は縫ノ池の弁天様に

この地下水を通じて逢いに

行っていたという言い伝えがあります。

縫ノ池では地下水の汲み上げ過剰で、

一時期湧水が枯渇したこともありました。

しかし2000年には再び湧水が復活し、

龍神様は弁天様に逢いにいくことが

できるようになったことでしょう。

湧水の復活は、

龍神様に逢えない寂しさからの

弁天様の涙によるものだったのかも

しれません。」

このように書かれています。

2年ほど前に僕たちは、

ここに書かれた弁天様のいらっしゃる

縫ノ池を訪問し、

湧き水と絶景に癒やされましたが、

その時、この看板と同じアングルで、

写真を撮っていました。

こちらが縫ノ池で撮ったもの。

さらに、

ベストな撮影スポットから撮ったのが、

こちらです。

話が逸れそうなので(汗)、

轟の滝に戻ります。

次に、川底へ下りてみます。

水を避けて端っこを歩けば、

滝に近寄れそう・・・

静かに滝を鑑賞。

動画も撮影。

滝から散策道に戻る途中の景色。

さりげなく?妻も登場(笑)

次は、俯瞰して鑑賞。

場所が変わると

滝が色んな表情を見せてくれ、

何度見ても飽きません・・・

そして、

ここから滝壺の上へと向かいます。

途中で見つけた石祠に参拝。

祠の中には「観世音」の文字、

台座左側には「轟」の文字が

刻まれています。

お地蔵様にもご挨拶。

滝壺の上に到着。

橋を渡り対岸へ。

これが二千五百万年前の

姿なのでしょうか?

滝壺の上のさらに上の小さな滝。

小さな滝のアップ。

滝壺手前に見えるのは、

不動明王です。

正面から撮影。

みなさん、なぜだか、

少し穏やかな表情をされています・・・。

案内を書き出すと、

「轟の滝 不動明王尊

この不動明王は、

昭和19年(第二次世界大戦中)に

鎮国々家、平和、武運、

災難厄除、などを祈念し、

吉田大定寺住職平瀬泰応和尚他、

町内有志数人の発起により

建立されたものです。

以来50年、老朽化し破損もひどく、

平成5年4月修復及び

色塗り替えもなり

見事な御姿となられました。

現在では、家内安全をはじめ

身体健全、病気平癒、交通安全など

事故や災難除けのお不動さんとして

お参りされています。

修復再興を契機に

毎年4月29日(祝)に

不動まつり祈願法要が開催されています。

ご参拝下さいませ。 合掌

平成八年 沙門龍生記」

このようになります。

戦争末期の昭和19年、

食べるものにも事欠く日本で、

これだけのものを造られた

意味を考えてしまいます・・・

僕が想像するに、

平瀬泰応和尚の心の奥底には、

殺し合い真っ只中の人間の愚かさを

不動明王様に叱ってもらい、

また、優しく導いて欲しいという

お心があったのでしょう・・・

だから、不動明王様のお顔も

心なし穏やかにされているのかと・・・

永遠に残して欲しい、

不動明王尊ですね。

不動明王尊から見た景色。

公園を通って滝の反対側へ。

滝の向かって左側の陸地から撮影。

遊歩道で、滝を中心に右回りで

一周した終点に近く、

ここまでで、轟の滝散策は完了です。

佐賀駅から帰路へ

鹿島市~嬉野市と巡った旅も

もうすぐ終わり・・・

レンタカーで佐賀駅まで、

そして、佐賀駅からはJRで福岡へ。

今回も充実しまくった一日でした!

 

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